「せんとくん」という炎上キャラ
今から10年以上前の2010年、奈良県でとても地味な(失礼)イベントが行われたことを覚えている人はいるだろうか。
「2010年は710年から1300周年」といえば分かる人もいるかも知れない。
そう、平城京遷都から1300周年を記念した平城遷都1300年祭である。
「なんと見事な平城京」などと覚えた方もいると思うが、710年は奈良県橿原市の藤原京から23㌔離れた奈良市の平城京へと都が遷都した年である。
当時の日本は奈良が首都であった。
1300年前の奈良は今の東京だったのである。
遷都の理由は不明だが、どうやら遣唐使の影響もあるらしい。
704年、唐の都長安から戻った遣唐使は文武天皇に謁見した。
文武天皇(もんむてんのう)
第42代天皇。在位期間697年-707年。在位中の701年大宝律令が公布され国号が倭から日本へと定められた。また702年遣唐使の粟田真人に初めて節刀を授け、これが天皇が節刀を授けた初例とされる。
文武天皇「唐への長旅本当にお疲れ様でした。長安はいかがでしたか。」
遣唐使「は、大変見事な都会でありました。」
文武天皇「そうでしたか。この藤原京と比べたらどうでしょうか。」
遣唐使「は、恐れながら長安と比べたら藤原京はゴミです。」
文武天皇「なんやて!!!!!!!!」
それからわずか3年後、若くして文武天皇は崩御された。
もしかしたらこの時の怒りや悔しさも関係したのかもしれない。
後を継いだのは、文武天皇の母であり今話題の女性天皇である元明天皇であった。
元明天皇(げんめいてんのう)
第43代天皇。在位期間707年-715年。歴代5人目の女性天皇。在位中の708年和同開珎を鋳造。712年編纂が続いていた古事記を完成させた。
即位から3年後の710年、元明天皇は平城京に都を移した。
規模こそ違えど当時の唐の長安に負けじと、そして息子の文武天皇の無念を晴らすかのように平城京は誕生した。
そしてその5年後老いを理由に娘に譲位し、その6年後崩御された。
それから約1300年後の2008年2月、平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターとしてこの世に誕生したのが「せんとくん」であった。
当時はひこにゃんを火付け役とした空前のゆるキャラブーム。くまモンやふなっしーなどかわいらしい2頭身キャラが続々と登場する中、鹿の角が生えた童子というかなり攻めたルックスのせんとくんは2本の角を武器にゆるキャラ業界に殴りこみ、そして奈良県民からボコボコに叩かれた。
「可愛くない」「怖い」「気持ち悪い」「異様」「仏を侮辱している」「不謹慎」「奈良の恥」など、賛否両論どころか全否定の大炎上といっていい。
童子の心、仏の心を持つせんとくんは何を思っただろう。
2008/3/3 ヤフー世論調査でせんとくん反対が78 %。
2008/3/9 市民団体が行った署名運動で反対が92%。
2008/3/12 奈良県知事が撤回は考えていないと明言。
2008/3/30 市民団体が行った署名運動で反対が83%。
2008/4/16 製作者がTV出演し批判は3割と反論。
2008/4/16 交代キャラとして「まんとくん」が誕生。
2008/6/20 交代キャラとして「なーむくん」が誕生。
マスコミや市民団体によるせんとくんバッシングが連日メディアに取り上げられ、せんとくんの知名度は全国に広がった。
ところが奈良県民からは忌み嫌われたせんとくんが全国的には比較的好意をもって迎えられ、そのことで皮肉なことに奈良県民の意識も少しずつ変化していったのである。
大きな流れの変化があったのは2008年6月2日であろう。
この日ヤフー世論調査でせんとくんとまんとくんの人気投票が行われ、まさかのせんとくん支持が66%と圧勝。
その時歴史が動いたのであった。
予想外の結果にせんとくん関係者や数少ない支持者は大いに喜び歓迎した。
せんとくんは静かに泣いた。
風が変わり、流れが変わり、空気が変わった。
奇跡の大逆転だった。
市民団体は言葉を失い、敵意むき出しだったまんとくんとなーむくんはそっと目を閉じた。
世論調査というのは良くも悪くも空気を読んだ国民が造るものでその時の雰囲気で180度結果が変わるものであり、信頼に足る情報ではないことが証明されたのであった。
知名度を得、人気者となったせんとくんは一躍時の人となり、晴れて国民にも奈良県民にも認められたのである。
2010年11月7日、平城遷都1300年祭は無事終わった。
奈良県内への来場者数は予想の1.5倍以上の1,740万人。
国内全体の経済効果は、事業支出100億円に対して21.5倍の2,150億円と試算された。
平城遷都1300年祭(4/24~11/7)来場者数詳細
春季フェア(4/24〜5/9の会場)予想の1.5倍の54万人
(春季ー夏季(5/10~8/19)予想の1.9倍の136万人)
夏季フェア(8/20〜8/27の会場)予想の2倍の25万人
(夏季ー秋季(8/28~10/8)予想の1.2倍の51万人)
秋季フェア(10/9〜11/7の会場)予想の1.5倍の97万人
(会場以外の県内各地 予想の1.6倍の1,380万人)
※各フェアとも1日平均3万人超え、最高は5/3の6.9万人
当初失敗も噂されていた平城遷都1300年祭という地方の地味なイベントは大成功に終わったのであった。
全てせんとくんのおかげとは言わないが、彼の為したことはとても大きい。
大盛況に幕を閉じた一か月後の2010年12月、せんとくんは奈良県から観光マスコット就任を打診され快諾した。
また同月、かつてのライバルだったまんとくんとなーむくんを許し和解した。
彼はずっと童子の心、仏の心を持ち続けたのであった。
それから時は流れ10年以上が経ち現在に至る。
昨年奈良を旅行した時、未だ奈良県の主要施設やお土産物屋に居続けていたせんとくんに驚いたものである。
そして今もなお奈良県のマスコットキャラクターとして優しい笑顔で地道な活躍を続けてくれているのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?