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パラレル

海外から帰ってきたひとかのように,季節の感覚,日付の感覚がちょとおかしくなって自宅に戻った.5日ほど親戚のいる長野県で過ごした.稲刈の目的で行って,親戚宅で過ごした.もっと居れば?と言ってもらったが,週末に出張があるから渋々自宅に戻ることにした.

新幹線から降りるとき,人の多さに怖気付いた.私は昔からそう.沖縄とかに旅行した後は都会の早歩きにびっくりしたり人酔いしてしまってしばらく喫茶店で「都会時間」に慣れるまで休んだものだった.地方モードにどっぷり浸かって帰るものだから,都会に戻る時本当にいつもつらい思いをする.都会がどうのこうのというよりもその先にある日々,人間関係,仕事のつらさがつらいのだと思う.わたしにとって旅の意味は逃亡とイコールだった.

滞在中PCを開くのは最低限にした.仕事も最低限.農作業をするか,家事をするか,猫の世話をするか.その程度のことしかしなかった.散歩しようにも熊がでるからあんまり気楽に外に出られない,少し大きな通りまで人っ子一人会わない.私は暇な時は広大な庭に一人椅子に腰掛けて,猫を膝に乗せぼーっと過ごした.今度来る時は車の運転できるようになっておこう…

ある暇な日,車と電車を乗り継いで,ショッピングに出かけた.あるアパレルのお店で「ぼく10年東京にいたんですよ」と聞いてもないのに話してくれる男の子がいて,話を聞いた.その彼は東京に疲れ長野に戻ってきたということだった.東京を離れれば全部解決するというわけではないけれど,離れることで解決することもたくさんあるということがちょっと理解できた気がする.

その男の子は繁忙期でも繁忙期でなくても東京ではいつも深夜に帰宅していたそうだ.ずっと夜も明るいんですよね、東京って.わかる,わかるよと話を聞いた.だって20年間アパレルではたらくひとと私は同棲していたのだから.

旅行だからといって何かを考え込んだりもしなかった.一人の時間が全然なかったからかもしれない.ただただ,家事をして,合間猫に相手してもらって,少しだけ飲んで.それで1日が終わった.後半ホテル滞在しようかとも思ったが,そんな遠慮も途中でわすれて結局5日間親戚宅で過ごさせてもらった.

私には一人の時間が大切だが,逆に今回一人で過ごしていたら頭がどうにかなってたかもしれないなと思った.誰かと喋っていないといけない環境(=家族が一緒にいる環境)によって私は助けてもらったと思う.しかも普段会うことのない人たち.普段から親しく交流しているというわけでもなかったのでいつもと違う脳の部分を使った.海外でのホームステイに近いと思う.

脳が忙しかったため,仕事のこと,元恋人のことについて何も考え込まなかった.そうすることによって出てくる答えもあった.

元恋人をきちんと清算しようと思った.勝手な結論をだしたその元恋人に,1ヶ月前反論を投げ返事がないので,1ヶ月ぶりに彼とのLINEを開いてみたら未読のままだった.ショックを受けた.そうゆうひとだったのね.そか,ご自身の言いたいことだけ言って私の声は二度と届かないのね.ありがとうぐらい伝えたかったけど.

私も静かに彼をブロックし彼を消した.こんな経験したことがないのでショックが大きいが,「去る者追わず」という言葉が当たり前の様にいま存在しているように,先人たち,いや身近にこういった事例がゴロゴロあるのかもしれないね.このまま自分のLINEのアカウントも閉じようかなと思ったが少しだけ理性が働き思いとどまった.ん?iMessageでとりあえず大丈夫なんじゃないかな?用事がある人は電話するだろうし.とまた揺れる.

旅で出会ったのアパレルの男の子が,長野へ戻ったのは他の理由もあったかもしれないなとふと思った.私は私で,少しだけ元恋人と重なったから(人見知りのくせに)長時間喋ってしまったのかもしれない.

5日長野で過ごす前と後では,私の細胞が入れ替わっていてパラレルなワールドができてしまった気がする.誕生日が合間にあったことも少し影響してるかな.自分の誕生日を忘れていたが各所からおめでとうのLINEをもらって,ああーとなった.数年前に別れた恋人からも,おめでとうと言ってもらった.

親戚宅では私のためにケーキ作ってもらったり,子供が頑張ってラッピングしてチョコレートをプレゼントしてくれるなんていう経験は人生初めてのことだった.その家族にとっては当たり前のことなんだろうけど,私にとっては新しすぎる経験で感動的だった.

頻繁に交流があったわけでもなかった親戚だが,子供はすっかり私に慣れてくれ,その家の10歳年上の女性は私のことを「妹なの」と周囲の紹介してくれた.もう十二分にそれが誕生日プレゼントだった.

二週間もすると都会モードに慣れてなんともなくなるのだろうか.でもLINEを辞めるとか思いつかなかったがこれも変化だし.仕事先の選択肢を広げようともしている.

変わるかもしれない.変われるかもしれない.









































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