8823と人生の目的じみた議論
最近、やけにスピッツの「8823」を繰り返し聴いている。
小学生時代、スピッツで1番好きな曲はアルバム「ハチミツ」の表題「ハチミツ」だった。キャッチーでポップなメロディと可愛らしくきこえる歌詞に、何度もMDの1番をリピートした。
小学生の自分にとって、アルバム「ハヤブサ」は、歪みやねじれが多く暗いイメージだったので、当時あまりはまらなかった。「HOLIDAY」と「今」は比較的好きだったけど。
私は日記を以前から書いており、高校生の頃の日記を読むと、8823の良さを理解し始めていたのは、進路選択に迷っていた高2の頃。だがその時よりも「君を自由にできるのは宇宙でただ一人だけ」という言葉が最近やたら響く。以前は何とも思っていなかった言葉が、急に自分の中で発光し始める現象は、我ながら興味深く感じる。
昔の私は、「宇宙でただ一人だけ」=君を自由にできるのは俺だけって口説いてる感じかなと思っていた。でも、自分しか自分をどうすることもできないんだってことなんだと気付いた時に、急に8823が自分の中で意味のあるものとして存在感を放ち始めた。自分を自由にするのも不幸にするのも、全部自分だけ。
8823の意味が実感をもって理解できるようになったきっかけは、制約と悩みが付き纏っている現在の環境が大きい。
昔の私にとって8823は、「暗くて微妙な盛り上がりの曲」だった。
今の私にとっては、自分の内側から出る声、叫びや欲求にスポットを当てることでその力を最大限に増幅させて、自分の力だけで内側から外側へ思い切り飛び出させてくれるようなイメージ。明らかに特別な存在といったところだ。
幼い自分では何も感じられなかったものについて、曲がりなりにも理解し強いエネルギーを感じられるようになったことは、とても嬉しいことで、何度も聴いてその意味を噛み締めてしまう。
先日の「あちこちオードリー」で、若林さんが「これまでに出会うことができた、分かり合えると思えた人たちと出来るだけ長い時間を共有していたい。それが、今後も自分が芸人として活動していく目的、エネルギーだ」というようなことを言っていた。
自分は大学生の時、少し気落ちするたびに「これから先、これまでに経験してきた以上の悲しみにぶち当たるということが既に予測できていて、楽しさよりも苦しさの方が大きいだろうと思うのに、何を楽しみに生きていけばいいんだろう。」と思い、お先真っ暗な気持ちになっていた。
でも、人生の目的とかそういう自己啓発じみた事を追求してこねくり回すんじゃなくて、ただ人と分かり合えた時の喜びを感じて、その人たちとできるだけ長い時間を過ごしたいから、辛くても頑張ってその場しのぎでも生きていく、でいいんだなと思った。
すごくシンプルではあるが、ただそれだけのことでいいんだ、とすんなりと納得する自分がいた。
最近、8823の歌詞とか、「アカネ」の歌詞とか。
中高生の時は分からなかった歌詞の意味するニュアンスとかが自分なりに解釈できたり、「すごく分かる」と共感することが増えた。
自己流な解釈だとしても、誰かと、内面の中にある何かを共有できたと感じた瞬間のアドレナリンってすごい。独りよがりだとしても。強烈な喜びを感じる。
だから、誰かに自分のことをわかってもらえた時の喜び、誰かと感覚を共有できたと感じ合えた時の嬉しさ、アドレナリンのために辛くても生きていけるように頑張る、というのがなんだか自分の中ですごくしっくりきた。
もっと沢山の喜びを感じていきたい。
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