じゃあ、いじめ問題の解決方法を語ろう(原因編)

「どうしていじめはなくならないんですか?」
いじめの原因が学校構造の問題なのに、個人のせいにされてしまってることだろうな」
「個人のせいですか?」
「加害者の倫理や親が悪い。被害者が弱いのが悪い。止めなかった教師が悪い。隠した学校や教育委員会が悪い。そんなふうにいじめの原因を個人の異常のせいにしてるだろ」
「まぁ、どれも良く聞きますね」
「或いは、構造飛び越えて日本人の社会構造が悪いとか、日本人の集団主義な精神が悪いとか言い出すこともあるな」
「確かに。よくありますね」
「でもさ。よく考えてくれよ。そもそもいじめというのは学校に特有なのか?日本人に特有なのか?
「いや、そんなことはないでしょう。家庭や職場や地域のいじめはありますし、外国の映画情報ですが、アメフト部の体育会系にいじめられているパソコンオタクみたいなのよくありますしね」
「そうだな。ということはだな。いじめというのは、時代や場所や人種を問わず、とある環境が作られたら起きてしまう普遍的なものであると考えた方が自然ではないのか?
「なるほど。で、その環境というのは何でしょうか?」

①外部から隔絶された上で、②何らかの圧力がかかっているのに、③逃げることが困難な空間であることだな。そうなった場合独自のルールと階級が起きて、いじめが起きることになる」

「んー。もうちょっと詳しくお願いできますか?」

 『いじめは暴行罪や傷害罪や脅迫罪でしかない』

「そうだな。じゃあ初めに①外部から隔絶されたということについて話そう。例えばお前が酔っ払って駅員を殴ったりしたとするだろ」
「いきなりな仮定ですが、まぁそれで?」
「そしたら普通、問答無用で通報されて逮捕される。これに何か疑問はあるか?」
「まぁ当然だろって話ですね。反論の余地がありません」
「だな。でも学校で教師が生徒に対し、或いは強い生徒が弱い生徒に対し、他では軍隊で上官が兵を殴ったらどういう庇う反応が出るか?」
「愛の鞭とか、子供同士のやることですからとか、強い兵になる為に必要なことだとか、一定の説得力を持ってしまう反論が出てきますね」
「そこに警察が介入したらどうなる?」
「警察自身や警察を呼んだ被害者が非難されますよね。おかしなことに」
「そうだな。神聖な教育の為、或いは絶対に必要な国防の為。それを盾に外部からの介入を拒むんだよな。そうして殴ったら捕まるのが当然の、市民社会の常識とは違ったルールが、その組織内部に出来てしまう。そこにあいつは○○だから攻撃してOKというルールが出来てしまったらどうなるか?」
「殴ったら傷害罪、相手の物を脅して奪ったら強盗罪という常識が無視されて、殴っても奪ってもOKということになります」
「それがいじめっつうわけだよ」

 『いじめは簡単に喜びが手に入る方法である』

「次は②の何らかの圧力がかかっているというやつだな。お前は学校にどんな圧力がかかっていると思う?」
「それこそいろいろでしょうね。例えば先輩が怖い。教師が嫌い。親がムカつく。勉強ができない。部活で勝てない。好きな子が振り向いてくれないなどですかね」
「だな。そうして不安とか無力感に苛まれるわけだ。そうなった時に人は、どうやってその無力感を解消すると思う?」
「それは個々の問題を解決したり、解決しなくとも娯楽で誤魔化したりと、そんなところじゃないでしょうか?」
「そうだな。市民社会の常識ではそうだ。だが、隔絶された環境の中では違うんだよ。手っ取り早くそれぞれの問題を無視して全能感を得る方法があるのさ」
「もしかして、それは――」
「そうだよ。それこそがいじめなんだよ」
「どういうことですか?」
全能感というのは、思い通りにならないはずのものを、自分が上手くコントロールできることへの喜びなんだよな。この世で一番思い通りにならないものは他人で、だからこそ攻撃で支配することに全能感を感じてしまうのさ」
「物ではダメなんですか?」
「それで満足する人もいるがな。このゲームは俺が最強だみたいな。でも物を上手く扱えたところで、それは技術で、覚える特訓も大変で誰もができるわけではない。最近じゃ全国的に比較されることも多いから、全能感を覚えるくらい強くなれるかどうかは疑問だよな。その点いじめはその場限りで比較しにくく、拳と脅しさえできれば良いから楽だしな」
「まぁ楽といえば楽ですけど……」

 『いじめを子供は周りの大人とテレビから学ぶのかも』

「最後に③の逃げることが困難な空間だな」
「物理的に逃げられるってだけではないんでしょうね」
「そうだな。逃亡ができない刑務所みたいなのはともかく、他は物理的に逃げられはする。だから安易に逃げればいいじゃないと言い出すやつがいるが、そいつは本質を見ていない。果たして学校から逃げて不登校や辞めたりした上で、まともな社会生活に戻ることは可能なのか?という話さ。逃げても大丈夫なように制度は多少できてはいても、人々の心はそうじゃないだろ?
「そういう時は死ぬよりはましとか言うんですけどね。でも普段から周りと同じようにしろとか、学歴で人を判断しているのを見せられている側とすれば、学校に通わなければいけないという思いは強くあるでしょう」
「ブラック企業でも同じだな。三年は働けとか、働かないようなやつは屑だとか、会社や上司に従えとか、お前が辞めると損害が出るのはどう責任とりやがるとか、家庭より仕事を優先にしろとか、そんなふうにどんなに自分の状態が悪くても職場に来るように思わされている。そんなんで、死ぬよりましだから辞めたら?と子供に言われたら反論できるのか?
「確かに。そこでどちらがより逃げられないかの争いをしても意味はないですが(会社側→家庭を背負っている。学校側→転校を自分一人で決めることができない。逃げる為の知識や経験がない)どちらにしても逃げられないことは辛いことだと思います」
「ある意味学校の方が逃げ場がないかも知れないがな。市民社会なら嫌な相手と距離を置くことは可能だしな。嫌いな相手とは表面だけの付き合い。親しい相手とは家のパーティに招いたり招かれたり一緒に買い物行ったりするとかな。問題ある相手が距離を無視して入り込もうとすることはあるが、そうなったら警察呼んでも仕方ないと他は見なすだろう。結局、一番でかいのは、嫌いな相手には距離を置いても構わないということなんだよ。だけど学校というのはみんな仲良くという幻想を押し付けてくるのさ。それは時に、距離を置くことが、いじめをするよりも悪いこととして扱われることがあるくらいにな。大人ができないことを子供に押し付けてるんじゃねぇよと思うんだが、子供は純粋で差別がないから、早いうちに仲良くすることでみんな仲良しの世界が作れるとでも思ってるのかも知れん」
「礼節と社会的利害がないから、本能で相手を差別してしまうかも知れないとは考えないんでしょうね」
「或いは本能ではなく、子供は結局大人の真似をしてしまうという学習の結果かも知れないがな。大人が別の大人の悪口や追いやってる行動を見て真似してるだけだろう」
そうするといじめ問題解決には、子供が接するものも変えないといけないかも知れませんね。具体的には地域社会や子供が観るメディアを変えるプランも立てる必要があります
「だな。まぁそれは解決編で話すことにしよう。話を戻そう。逃げられない環境は何かについて話したから、そういった環境に置かれたらどうなるかについて話すか」
「お願いします」
「おう。で、人が逃げられない圧力環境に置かれたとする。そうすれば発散できずストレスが溜まることになる。すると加害者側は簡単なことで苛立ちやすくなり相手を攻撃しやすくなる。被害者側の視点からでは、暴力は勿論、些細な悪口や無視など小さなことでもダメージが増幅されてしまうんだよな。だけどみんな仲良くで逃げるなとされているから、被害者は自分を攻撃する相手に媚びないといけない。自分を変えるから許して下さいと加害者に赦しを乞い、精神的な奴隷にされる理不尽な状況に落ちる。そしていつか耐えきれなくなり不登校や自殺をしてしまう」
「殴っていじめてストレス解消ってことですね」
「他のタイプとしては、遊んでふざけてストレス解消というのもあるな」
「どういうものですか?」
学校で一番大事なのは、市民社会の常識ではなくノリなんだよ。ノリの為にふざけられるやつが偉いやつ。そうでないのはいじめられるやつ。からかわれていじられるレベルはまだましだが、ふざけた遊びに被害者側が苦しむことを楽しむ最悪なレベルのもあるのさ」
「あー聞いたことありますね。牛乳に洗剤入れたの飲まされたり、ゴキブリを口に入れさせられたり、コンクリート滑り台を裸で下るボードにさせられたりとか」

「そういうことだな。今までをまとめるといじめの原因とはこういうことになる。

外から閉じられ、強大な圧力があり、離れられない場所は、
ストレスから力関係の弱肉強食の序列が出来上がる。
そこでは市民社会とは違うルールと遊びが流行し厳格化する。
弱いことや、ルールからはみ出る相手を罰することがいじめの理由となり、その場所ではその理由が正しいと、思考や感情が作り変えられる。
それが外に知られる破滅か、卒業などの時間が来るまで続くことになる。

とまぁこんなところか」
「なるほど。よくわかりました。でもいじめって結局どうやって解決すればいいんですか?」
「それは次回に回そう。いじめの原因だけで、長くなってしまったからな。まぁでも、これでも大まかな概要だけだ。より詳細に知りたいなら、参考文献の『いじめの構造(内藤 朝雄)』を読むと良い。こんな名著ができたのが2009年で、9年も放置されていたのは罪深すぎると思うくらいの代物さ。自分なりにいじめ問題を考えてはいたんだが、結局この本の要約が自分の結論になってしまったくらいだ」
「それほどですか。わかりました。読んでみます」
「そうしろそうしろ」

「というわけで、いじめの原因論はどうでしたでしょうか?」
「疑問や反論があるならくれよな。不幸な子供をこれ以上生み出さない為にも、脱落する人のない楽しい社会を作る為にも、どんどん議論と実践をして、教育を変えていこうぜ」

参考文献『いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)2009/3/19 内藤 朝雄』


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