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スウェーデン留学記#31 魚にまつわる珍事件

ベジタリアンが多いスウェーデンでは、自然と留学生の意識も高まるのかシェアハウスのハウスメイトの中にも何人か菜食主義に挑戦している子がいた。もともとベジタリアンの子もいるから、自然とキッチンで肉を扱う人は減る。そんな風潮に逆らうように、日本で食べてたのと同じように肉を食していた私は逆に肩身の狭い思いをすることも多かった。特にもともとベジタリアンの子の前では生肉を捌いたりしないようにと、何かと気を遣った。本人は「他の人が調理したり食べている分には気にならないから、お構いなく」とは言ってくれていたものの何となく罰の悪い思いがするものである。

そんなシェアハウスのキッチンで比較的よく調理されていたタンパク源はサーモンだった。菜食主義挑戦中の子も、肩身が狭い私も鮭なら自由に食べていい気がした。調理といっても大抵塩胡椒して適当なハーブ類を振りかけて、オーブンで焼くだけといった簡単な料理だ。お隣の国ノルウェーで獲れたサーモンは脂が乗ってて、焼くだけで十分に美味しかった。

一度ハウスメイトのアレクシーの母親がシェアハウスに訪問しにきたことがある。気分屋さんでお喋りでマイペースなアレクシーは一緒に暮らしているとどうも周りが振り回されるようなところがあった。ただ、本人に悪気はなくむしろその清々しいほどの素直さがどこか憎めない、愛嬌のある人だった。そのアレクシーの母親はさらに強烈な人で、一目見てなるほどこの母にしてこの娘あり、と得心した。輪にかけたように陽気でパワフルで、アレクシーの10倍はお喋りが好きな、賑やかな人だったのだ。誰にでも話しかけてくれるフレンドリーな人だったので、この人の滞在中のシェアハウスはいつにも増して明るく、そして楽しかった。一方娘の方は、誰彼構わず話しかける母親に辟易しているようで「お母さんたらもう…そろそろ離してあげてよ」なんて言いながら、「ごめんね〜」と困ったように笑い、我々に気を遣っている様子だった。母親の前では借りてきた猫のように大人しくなるアレクシーの表情は、普段の様子からは想像できないほどのギャップがあり、新鮮だった。家ではちゃんとしてるんだなーと思うと、普段の蛮行ぶり(アレクシーは掃除や片付けサボりの常習犯だった)もどこか許せる気になってくる。とにかくこの似た者親子の微笑ましさに、しばし明るい気分になったのだ。

そのアレクシーの母親は日本人である私に強烈な興味を抱いたらしく、文化のことから何まで根掘り葉掘りといった様子で聞いてきた。おまけに私が夕飯の支度を始めると、「日本人の料理!興味深いわ!」と言って一挙一動を見学し始めた。困ったな…と思ったのは、あいにくその日は鮭のホイル焼き (鮭と玉ねぎとキノコをアルミホイルで包んで、塩コショウとレモンを絞ったらそのままオーブンに突っ込むだけ)という和食とは程遠い料理を作る予定だったからだ。今さらメニューを変えるわけにもいかなかったため、和食ではないんです、と断りを入れつつ予定を決行した。それでもアレクシーの母は私が鮭を手にするのを見るなり「鮭!」と叫び、うんうんと頷きながら「日本人は魚をよく食べると聞くわ!魚はすごく健康にいいのよね」と嬉しそうだった。そして魚がいかに健康にいいか語ってくれた。例え和食でなくても、日本人が魚を食べるというだけで文化的に振る舞っているように見えるらしい。

魚をよく食べる日本人なる私ではあったが、ルンドで鮭以外の魚に手を出すのはなかなか難しかった。鮭は見た目で鮭と分かる。だがその他の魚はスウェーデン語辞典を調べないと何の魚か分からない。”sill”と買いてあるのは銀色の小魚だ。一パックに20匹ほど山盛り入っている。見た目から鰯だ!と思った。これなら調理できるかもと思い、その一パックを購入した。

帰宅して鰯のレシピを調べてみる。鰯の南蛮漬け、つみれ団子、唐揚げ、蒲焼き、つみれ揚げ、香草焼き…など色々と楽しめそうだ。その後の1週間は鰯ざんまいで料理をした。つみれ揚げなんぞは日本でも作ったことがなかったので、初めてだった。その割にはそれらしいものが出来て大満足だった。

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異変に気づいたのは数ヶ月後、アンチョビ缶を買った時だ。原材料を見ると”sardin”と書いてある。アンチョビの材料は鰯、英語でも鰯は”sardine”だから、なるほどスウェーデン語でも英語とほぼ同じだなと思った。両方ともゲルマン系言語だから似ているのももっともだなんて思ってから、はたと気づいた。待てよ?じゃあ、あの”sill”は何だったんだ?

調べて出てきたのはなんと”ニシン”だった。衝撃を受けた。私が鰯だと思い込んで、つみれ団子にしたり、蒲焼きにしていたものは、実はニシンだった。まるで別物である。ニシンと言えば、魔女の宅急便で出てくるオーブン焼きに入っている魚ではないか。子供の頃、スーパーで母親とはぐれてようやく見つけたと思って抱きついて、顔を見上げたら別人だった時の驚き。喩えていうならそんな気持ちだった。

そもそも何故私は”sill”を鰯だと思い込んだのだろうか。言い訳がましいがこれには理由があるのだ。スウェーデンではエイプリルフールに子供たちが人を騙した後に「4月、4月、君は馬鹿なニシン」とメロディーに乗せて歌う習慣がある。これは子供の頃に、『やかまし村の子どもたち』という本を読んで知っていた。“馬鹿な”は英語で“silly”と言うから、”sill”と言う文字と“馬鹿”は頭の中でちゃんと結びついていた。”sill”を見た瞬間に「あ、これは”馬鹿”を意味する魚だ!」と連想したところまでは良かったのだ。ところが困ったことに、私は昔から『イワンの馬鹿』という本の字面から“イワシ”を連想せずにはいられなく、いつのまにか私の中で“イワシ”は“馬鹿な”イメージが結びついた魚となってしまっていた(イワシにとっては濡れ衣もいいところで、迷惑極まりない話だろう)。そんなわけで私は“sill”→”馬鹿”→”イワシ”という、イワシにとっては大変不名誉な勘違いをしてしまったのだ。

ニシンのつみれ団子なんて、思いついて作ることは一生なかったであろう。貴重な体験をした、と思うことにしたい。

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