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【児童発達支援センターB園⑤】「田崎先生はどう生きたいの?」と子どもたちに問われた

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介もぜひご覧ください)
前回に引き続き、A乳児院から異動を命じられ、勤めることになった児童発達支援センターB園のことを中心にお話しさせてください。

障害のある子どもたちが通うB園で保育士として働く26歳の私は、我が子の可能性を少しでも広げたいと努力するお母さんたちに驚きました。子どもの問題行動に対するさまざまな療法が開発されていますが、子どもと療法がピタッとはまると、こんなに成果が出るのか!と感動するくらいに、子どもの様子が変化することがありました。

B園の子どもたちのお母さんを見て感じたのは、障害という我が子の現実を受け容れながらも、我が子の人生の可能性を広げてあげたいという親としての愛情の深さです。

もちろん、子どもの障害をなかなか受け容れられない保護者もいました。「うちの子のことを話すときに、障害という言葉を使わないで!」と言われたこともあります。しかし、多くのお母さんは、時間と共に、子どもの障害を現実のものとして受け容れた上で、社会でその子がよりよく生きていくための療育を模索するようになりました。そんなお母さんたちの状態を、私は、諦めているのではなく、受け容れていると感じたのです。

すべての子どもたちにピタリとハマる療育がすぐに見つかるわけではありませんし、一時期のような成果がだんだん見えなくなるケースもあります。それでも、子どもたちの様子をじっくり、丁寧に見ていくと、小さな、しかし大きな成長は日々いくつも目にすることができました。

重度の知的障害のある子どもが、描画に取り組む中で、明らかに何かを伝えようとしている形を描くことがあります。肢体不自由で歩くことがおぼつかない子どもが、運動会などでゴールに向かって一生懸命に歩いていく姿を見せてくれることがあります。私たち保育者、そして保護者はその瞬間、心から感動しました。

「できないことが多い障害児が頑張っているのだから、感動するのは当たり前」という方もいるかもしれません。しかし、私が子どもたちから受けた感動は、障害者が頑張っているからというよりも、障害の有無にかかわらず、それぞれの人がもっている力を発揮する瞬間を見た感動でした。

B園では、当時、14人の子どもに対して、4人の保育者が配置されていました。子どもたち1人ひとりを注意深く見ることができたからこそ、ちょっとした変化や成長を見逃さず、私たち保育者は心を動かされたのだと思います。「障害児が頑張っているから」、ではなく、「その人がその人なりに頑張っているから」感動したのです。

本来、子どもは、障害の有無に関係なく、日々さまざまな変化や成長を見せるものです。子どもを丁寧に見ていくことで、私たちは、人間とは可能性を秘めた存在なのだと教えられます。

しかし、現実には、多くの子どもたちは、小さな日々の変化を見てもらうことよりも、「小学生になる前にひらがなを書けるようになりましょう」「計算ができるようになりましょう」と、できるようになることを次々と催促されています。

子どもたちがいろいろなことにチャレンジすることは大切ですし、背伸びしてみたい子にはそうした場をつくってあげたいと思います。でも、私は大人として、子どもたちの日常の中でのささやかな頑張り、小さな変化に目を向けてあげたいと思います。

B園の子どもたちを見ているうちに、私は「自分は頑張っていないのではないか」と思うようになりました。何か高い目標を掲げて頑張る、ということではなく、こんなふうに生きたいという姿に向けて頑張っていない、自分のありたい姿と今の姿の両方を見て見ぬ振りをしている……そう思うようになったのです。

「田崎先生は自分の心と体の性の違和感を受け容れないの?」「田崎先生はこれからどう生きたいの?」。B園の子どもたちから問いかけられているように感じ始めました。

トランスジェンダーとしての生きづらさに向き合い、ありのままの自分を否定せず、受け容れるという意味で、B園での日々は私にとって大きな意味を持っていました。B園でのお話を次回も続けます。


※私が「障害」を「障がい」と記さない理由は、こちらをご覧ください。

【児童発達支援センターB園の物語はこちらから】

【A乳児院の物語もぜひあわせてどうぞ!】


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