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「ちいちゃん」と「たっくん」の簡単な自己紹介
私は、1982年に生まれました。父と母、弟の4人家族で「長女」として育ちました。みんなには「ちいちゃん」と呼ばれていました。
私は、今、妻と5匹の愛犬(フレンチブルドッグ)の家族とともに暮らしています。みんなには「たっくん」と呼ばれています。
私は、「性同一性障害」の当事者の1人です。性同一性障害は、自分の身体の性と、心の性(自分自身の性の認識。性自認)が一致しない状態を指します。
仕事は、福祉の専門職です。相談支援センター「にこら」を開設し、相談支援専門員として活動しています。障害のある人たち(子ども、大人)と一緒に、その人が困っていることに向き合い、その人がなりたい姿、かなえたい未来を理解し、夢や希望に向かって生きるための支援体制を整える。それが私の仕事です。
■女の子が好きな女の子?
心と体の性の問題に初めて直面したのは、幼稚園児の時です。「女の子」に初恋をし、「女の子の自分が女の子を好きになるなんて、変だな」と思ったことを覚えています。そして気が付きます。「そっか。ちいちゃんは本当は男の子なんだ。だから、女の子が好きなんだ」と。
男の子が好きな遊びばかりに興味を持ちました。髪の毛は短髪でズボンばかり履きたがりました。恋愛対象は「女の子」。でも、誰にも相談できませんでした。
思春期、友達と恋愛話になり、「誰が好きなん~?」と問われたら、「〇〇君」と答えました。でも、本当は、手をつないだり、キスしたりしたいと思った相手は女の子でした。思春期真っ只中の「男の子」でした。そんな「おかしな自分」に気がついてほしいという思いもありました。
高校を卒業するころに父親の借金が発覚するまで、私が育った家庭はどちらかといえば裕福でした。外から見ると、恵まれた家庭の、何の問題もない長女だったかもしれません。
しかし、実際には、自分の体と心の性の不一致に悩み、そして「子育てが苦手」な両親との関係に苦しみながら育ってきました。
■「普通」が落とし穴
このnoteでは、私がこれまで生きてきた日々、そして今携わっている福祉の仕事のことをみなさんにお話ししていきます。そして、みなさんと一緒に、「生」「性」「私らしさ」そして「私たちがつくりたい社会」について考えていきたいと思います。
福祉の仕事では、虐待や貧困、心身の障害など様々な問題を抱える人たちと出会います。そうした人たちの多くは、「困っている!」「助けて!」といったSOSを出すのがとてもヘタです。かつての私もそうだったのだと思います。
今、社会では、多くの人が、何不自由なく生きているように見えます。でも、「何も困っていない」「助けなんて必要ない」、そう見える人も、本当はSOSを出すのがヘタなだけかもしれない。「普通」に見えるということは、実は私たちにとって抜け出しにくい落とし穴なのではないか。そう思うのです。
■noteで書きたい3つのテーマ
私のnoteは大きく3つのテーマが柱となっています。まず、私の仕事について。20歳で福祉の世界に飛び込んでどんなことを経験し、どんなことを考えてきたかをお話しします。
次に、性同一性障害の当事者の1人として自分の生と性にどう向き合ってきたかについて。LGBTQなどのテーマから社会的マイノリティ、多様性などについて私の考えをお話しします。
そして、私の家族とのことについてもお話しします。性同一性「障害」は、自分の心と体の違和感という障害であると同時に、自分と自分を取り巻く社会との違和感という障害でもあります。性同一性障害の当事者である私と両親の関係についてもみなさんにお話ししたいと思います。
このnoteは、「ちいちゃん」「たっくん」がどのように生きてきたかを知ってもらいながら、みなさん自身がこれからどう生きていきたいかを考える一つのきっかけになればと願い、始めました。私自身も、これからどう生きていきたいか、親とこれからどんな関係を築いていきたいのか、そしてどんな家庭をつくっていきたいのかを考えていく場にしていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
「ちいちゃん」「たっくん」こと、田崎智咲斗