
福祉の仕事を通して考え続ける「幸せ」「自分らしさ」
このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。
初回にご覧いただいた自己紹介に続き、今回は私がどんな仕事をしてきたのかをお伝えします。
私は、短大を卒業してから、ずっと福祉の世界で働いてきました。これからみなさんに、私が仕事を通して経験したこと、考えたことをお話ししていきます。
私はこれまで4つの福祉事業所で働きました。そのいずれにおいても、「幸せとは何か」「自分らしさとは何か」を深く考えることになりました。
最初に勤務したA乳児院では、さまざまな事情によって親と暮らすことができない子どもたちと生活する中で、「生まれてくることの意味」を自問することになりました。心と体の性の不一致に悩み、苦しんできた自分が「この世で一番かわいそうな人」だと思っていたのに、自分なんかよりももっと苦しい人生を送っている人がいることに衝撃を受けました。
親の愛情に恵まれず苦しい日々を送る子どもたちを前に、生まれてくる意味とは、幸せとは、そもそも親とは…を考えることになりました。
2つ目の職場である児童発達支援センター・B園では、障害のある子どもの療育に携わりました。ここでは、我が子の「障害」という事実を受け止め、「この子がよりこの子らしい人生を歩めるように」と願う親たちと出会いました。
B園では、「自分らしさ」とは何かを深く考えました。もちろんそれは障害のある子どもたちの自分らしさであり、心と体の性の不一致を抱えた自分自身の自分らしさ、でもあります。
3つ目の職場は、学童保育の総合的な相談・支援の窓口となる学童保育支援センターです。ここでは、各地域の学童保育の指導員に対して研修などを行う支援員として働きました。
学童保育の中には自治体などが運営する公設公営型のほか、保護者が運営する民設民営型があります。子どもを思う保護者の気持ちが集まることで、行政を働かす大きな力になるのだということを知りました。1人ひとりが幸せに生きることができる社会はどのようにしてつくっていくのかを考えた時期です。
また、この頃私は、性同一性障害の治療を本格的に始めていました。でも、見た目には女性性が残っていたため、子どもたちに「男なん? 女なん? どっちなん?」とよく聞かれました。「どっちやと思う?」「思ってくれたままでいいよ」と子どもたちに返しながら、「男だろうが女だろうが、目の前にいる『田崎』のことを好きになってくれればいい」と思っていました。
4つ目の職場が、児童発達支援および放課後等デイサービスを行うNPO法人です。ここでは障害児(者)やその家族が、適切な支援を受けるためのサポートをする児童発達支援管理責任者および相談支援専門員として働きました。
ここでは、障害のある子どもを持つ親が、我が子と自分自身の「自分らしい生き方と幸せ」を見つけるまでの葛藤を間近に見ることになりました。
このNPO法人に就職する際、面接で「私は性同一性障害です。これから戸籍変更のためにお金が必要です。男性として雇ってください」と理事長にお願いをしました。この理事長との出会いも、私の人生の大きな転機となりました。
こうした歩みをみなさんと振り返りながら、「生とは」「性とは」「幸せとは」「自分らしさとは」を一緒に考えていければと思います。
次回からは、短大を卒業して初めて飛び込んだ福祉の世界、A乳児院についてお話ししていきます。
【「LGBTQ」と「性同一性障害」言葉はこちらの思いに基づいて使用しています。よろしければあわせてご覧ください】