勤務先へ向かう。気分が重い。 勤務先は、何と地球の外で、宇宙ステーションらしきところ。 それが、移動がややこしく大変なのだ。 ようやくたどり着き、うだつの上がらない仕事ー研究な?をする、周りの期待が大きいのが、余計にきつい。 仕事も先が見えないが、時間が来たら、帰宅となる。 宿泊させて貰うことが、脳裏に走るが何故か禁句のようで、重い足を何とか帰宅へと向ける。 行くのも、着いて仕事するのも、帰宅も全て辛い状況で、打つ手なし状態で、逆にいえば、喜劇的状況である。 突き詰めれば
何やら講義らしきものが、行われている。 といっても学者らしい権威は、感じられず胡散臭い集団で、見かけがみんな似ている。 内容もつまらないの極致で、何をいっているのか苦悶する。 その会場が、何と、今まで居住地であったものを、間借り、リフォームして、作ったものであることが判明する。なので、やたらと卑屈に振る舞っている。そして(元)住民は、壁沿いの椅子に座り、元の状態に戻すという約束があるようで、講義が終るまでまで、放心したように薄ら笑いを浮かべ待っている。 軍事介入の戦闘時
100年生きると仮定して 日で 365*100=36500日 年をとるほど 余命 は、減る一方に改めて気づく 貴重な残日数を無駄にする行動ような選択の誤りはできない。 勿論あれこれ手を拡げることも、不可 絞りに絞り質を、高めるか、 広く浅くでいく この切り分けの巧さにかかる
面接に来ているようだ。 採用になったようで、小冊子のようなものをゲットし見ている。会社へのアクセスが、見にくく数通り箇条書きにしてある。駅名、バス停の漢字が、複雑すぎて見るのも嫌になる。 自分は、都内に住んでいるらしく、大きく右回りで行くのと左回りでいく方法があるようだが、2時間はどちらもかかり、やはり考えるのも嫌になる。 帰るのも億劫になり、また来るのも嫌になり、ぶらぶらしている。 そういえば、小冊子に、2時間のガイダンスか、筆記テスト?かさだかでないが、8時からと書
二人で旅行に行くことになっているらしい。といっても、相棒と同行するわけでなく、何故か一人で、分厚い切符帳のようなものを、持って駅の中に入っていった。 列車の情報を、聞くためか窓口らしき所へ行き、アホの坂田のような係員に、切符を、みせて聞いてみた。 すると、 「あー1日前だねー」 というので、帰ろうとすると、 もう入っちゃたから、使うしかないようなことを、言われる。 もぞもぞしていると、 「どっか近場でも行って来ると、いいよ、 そうだ!宇都宮が、いいよー、あー、いいよ宇都
現実対処の方法 不快なことが、起きまくっていた。 ふと、ただ現実を、直視しやるべきことを、やらねば、と思ったら、瞬くうちに消えた。 こうであって欲しいと思えば思うほど、不快なことは、次々に起こる。 思うことと現実のギャップが、フォーカスすることで、より強まるからではないか?
勤務時間が、終わろうとしていた。 そのタイミングで、新入りでかつ自分よりも偉いらしい、リアルでは元課長似?の人が、挨拶する。 食事を、理由はないが、当然のように一緒に行くことになったらしい。 あそこは、○○だけど、○○なんだよなー、とかかなりうるさい。 定食屋らしき店で、あーだこーだいいながら、食べて、2人同時に、ご飯が、空になって、店の丸顔のオバサンが、タイミングよく 「お代わりは?」 と聞くので、2人同時に茶碗を、差し出し、 自分は、「7割で」 などと、細かく指示してし
最近、非常にふてぶてしいと思わせるシニアを、電車で見かけた。行動でなく、態度、全身から醸し出される姿勢、表情などの印象からである。 これは、自分を勘違い、把握がないからなのであろうか。それが、積年の品性を、作りだし、無意識に現れてしまうのか。 冒題の「実力にあった」と、この「自分を勘違い、把握していないこと」は、対照的である。 よく身の丈にあったというが、身の丈以上のことを、しようとすれば、ギャグでない限り、芳しくない結果を、生んでしまう。 100M10秒切ろうと、意気
巨大で、近代的オフィスにおり、お昼が近いらしい。 売店か何かで、買い物に躍起になっている。 自分の席に戻ると、手製のお弁当らしき包みが、机の上に、待機している。 勇んで、開けている途中、違和感が… うん?椅子がなくなっている。 探しても、回りの人達に聞いても、なしのつぶて。 ぼんやりした主任らしき人に、いったところ、むにゃむにゃとはっきりしない対応で、自分が、判断したのか、その主任らしき人のフォローなのか、勧められたのが、 ー座椅子(紺色)。 ※[コメント] 今、思えば
突然、浮かんだ言葉である。 啖呵を切るような投げやりなところもあれば、 やるだけやったのだから、結果は、気にしない潔さ もある。 結果 について、 責任は、 A)全て引き受けるか B)一部引き受けるか C)全く引き受けないか という態度に分けられる。 Aは、気っぷのよさが、溢れすこぶる爽やかである。 Bは、うやむや主義的で、問題を、起こす種となる。 Cは、部外者意識丸出しで、倫理的に問題は、ある一方、芸術的なとぼけさを、要求される。綱渡り的、アクロバット的技と
財布ごと人に貸したらしく、返してもらおうと必死になっている。 が、貸した本人が、そもそも見つからない。 あちこち、探しまくるが、その途中で、 「普通は、財布ごと貸さない、お金のみでだよ」 と至極当然のことを、言われたり、考えたりする。 ぼろぼろに、なってようやくその人を、見つけると、 すんなりとはいかずに、すったもんだがあり、経緯は、忘れたが、 派手に装飾された引き出し式ロッカーを、鍵を外し開けてみることになった。 外観は、馴染みは、あるものの、確信が、つかめない自分の財
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自分の誤りに、気づく ーはじめから誤りとして、気付かないものがある。 その過程は、まず、違和感としてモヤモヤした状態から、試行錯誤を、繰り返し、おぼろげな形から、だんだん明確になっていく。いわば、誤りを、理解するために、自己が成長しながら、理解に到達するというものである。
対話形式で、 あるトピックを、 深めていくのは、どうか? と思い付いた。 仮想の人物同士が、それぞれ相手の論旨に、切り込み、かえって返り討ちにあうなど、ドラマもあるかも知れぬ。
昨日は、 現実とミスマッチしていたのが、 今日は、 行動中心、適度な妥協で、すんなりことが運んだ。 変なこだわりが、あると、生きにくい ということか? 確かに、行動するには、現実とのアレンジは、必須である。