34年前の教護院⑫部屋長
私は部屋長になった。
と言うより、なってしまった。
部屋長は、部屋の全員と話ができる。
とは言っても、たわいのない話まで。10代の子が話すような話題では無い。
大きく変わるのは、いかにも古株という態度ができること。
そして、寮に、慣れきって居ること。
ちょっとくらいの冗談も言う。
でも決して、友達になっては行けない。
私はその教えをしっかり守っていたが、かつてのボスと仲間たちは、
外でも会う約束があったとか。
学校にも、新しい先生が来て、
若くて関西弁の先生に憧れたりもした。
そう、この頃になると、私は寮生活を楽しむことも出来るようになっていた。
時々奥さんがテレビで放送された映画や、テレビ番組の録画を観せてくれた。
「火ー火金金火ー金金」のCMが、
やけに頭に残る。
部屋長になると、さすがに怒られることが減る。
部屋長を怒ってしまうと、
4番手の面倒を見ることがやりづらくもなる。示しがつかなくなる。
そのためもあってか、
奥さんも嫌そうな顔はしても、
酷く怒ることはだいぶ減った。
また、日々の行動を奥さんから指示を受け、皆に号令を掛ける当番というのがある。
この仕事も部屋長になると回ってくる。
だいたい1週間か、2週間。
長い子は3週間やる。
3週間やらされる子は、向いているからだ。
だいたいあまり怒られない子。
頭の良い子がやっていた。
私は当番は向かなかったので、
あまり選ばれなかった。
頭が悪いからだ。
やりたくなかったので、それはそれで良かったが。
その当番は朝のランニングでも、
先頭を走る。
そのため人によって、
スピードも異なる。
そんなに早くしなくてもいいじゃん。と思うが、ラストスパートは必ずあるので、
毎朝ついていけるとホッとした。
さすがに半数近くがついていけない時は早すぎるので、そんな時は
先生が怒ることは無かった。
1番後ろを走る先生もきついので、
「明日は少しペースおとせ」と言う。
時々先生は私のことを
「ウワバミちゃん」と呼んでいた。
蛇に似ているそうだ。
よくモノマネをして喜んでいた。
部屋長になってからは1ヶ月を数えてはソワソワしていた。
部屋替えは、誰かが退院した時だけではなく、新しい子が入る時にも行われた。
その度に、あー、今から大変だね。と古株風を吹かせた。
そしていよいよ私より1つ古い子が退院して行った。
「部屋替えするよー」
私は4室へと移動し、
一人部屋となった。
そして間もなく専修科が決まった。
朝も、寝る時も一人で、
入院した時を思い出す。
孤独で、先生に殴られ、
皆に避けられる独特な空気。
あの時とは別の寂しさと孤独感。
真ん中に敷いた布団に横になる。
規則上、布団を頭まで被って寝ることは出来ない。
いつもの犬の鳴き声と電車の音。
明日から専修科。
今まで何人も見て、憧れていた退院間近の子達。
今、自分がその立場にいる。
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「奥さんーん。専修科作業行ってきます。」
「はーい」
「行ってきまーす!」
一人で歩く学院の敷地。
今まではそんなことは絶対になかった。さすがに専修科にまでなって、
脱走する奴がいたら、
それは私より馬鹿だろう。
専修科は主に、学院内の庭木の手入れだった。
特に変わったことはしない。
午前中ずっと、平和に庭木をいじり、片付けをして帰るだけ。
そこには、
私が夏のプールで、クロールを競った生徒もいた。
そうか、この子私より少し後に入ったのに、もう専修科なんだ。
2寮は他の寮とは違い、どんなに模範的な生徒であったとしても、
プラス10日課せられる。
私も例外ではなかった。
お昼に寮へ戻ると、その後は皆と
一緒だ。
ただ、4室に入ると、食事当番とか、
寮の仕事の当番は、例外もあったが、だいたいなくなる。
毎晩寝る時に思った。
もうすぐ退院なんだと。
あんなに入った頃は辛くて、
早く出ることだけを考えていたのに、
それなのに、今は。
出たくない……。
帰りたくない……。
私はそう思ってしまった。
帰って私はどうしたら良いのだろう。
私の居場所なんてない。
あの酔っ払いの所へは帰りたくない。
そう思ってしまった。