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錆食いビスコ ー令和の熱血は、バカじゃないー

「俺をただのバカだと思ってただろ」
赤星ビスコが、そういった趣旨のことを言うセリフがある。
ただ単に逃げていたのではなく、敵を的確なスポットにおびき寄せていたのだということが、数秒後に分かる。
罠にハマるように、誘導していたのだ。

赤星ビスコは、熱血ヒーローだ。
ただ、ただの熱血だけで押し通す、知識の無い熱血漢ではない。
師匠であり、サバイバルパートナーでもあったジャビに、変わり果てたディストピアとなった「街の外」での生き方を様々に教わり、一人前の「キノコ狩り」(この世界でのサバイバーのことらしい)としてのスキルを既に取得している。
ジャビを助ける薬がとれるかもしれない「秋田」に向かっていくのだが、地図もあるし、地下鉄のありかも知っている。日常では熱血バカだが、いざという時は意外と冷静で、熱さと知性を兼ね備えた主人公だ。
このあたりが、昔の熱血ヒーローものと違う感じがする。

私は、キャラクターを自分で作るのは苦手だが、キャラクターの分析をするのは好きだ。
オンラインゲームなどで遊ぶ時、体験した人も多いと思うが、ある程度キャラメイクが自由にできる場合、自分の持っているスキルポイントが100だとして、どの能力に何ポイントくらいを振り分けるかを選べるものがある。
戦闘力のパラメーターに数値を最高限度まで振ると、回復魔法が使えなかったり、HPの上限値がやたら低くなったりといった、アレだ。

ゲーム以外のコンテンツでのキャラクター作りにおいても、ある程度この法則は応用されているように思える。
どのパラメーターも全て最高値になっているキャラクターがいたとすれば、それはもう、作者と同じで全能のキャラクター、神に等しい存在ということになってしまい、神様だから、何の問題も1瞬で解決。世界は平和になりました。完。コンテンツは5分と持たずに終了してしまう。
面白くないことこの上ない。

だから、面白いコンテンツの登場人物は、必ず「長所と弱点」がある。
もっと細かく言えば、円形に中央から放射線上に棒が引いてあるパラメーター表があるとして、どの能力が何パーセントで、どの能力は低めである、といった「パラメーター振り」がしてある、という見方で私はキャラクターを眺める癖がある。

この話は、主人公が二人の青年であり、そのうち一人のミロは、「医術の知識・探求心」以外のパラメーターは「普通の人」レベルに振られている。(と感じる)
赤星ビスコは、「弓の能力」「キノコの知識」「体力・気力」に加えて「辺境世界の知識」に大きく振ってある。
昔のコンテンツだと、「体力・気力」を最小にして、「知識・戦略」等に極振りしてて、小柄で弱いキャラがよく仲間にいたものだ。そういう子はたいていメガネをかけていて、マジメそうで、「メガネくん」とか「博士」とかのあだ名で呼ばれていたりした。
令和の今、アニメでこういう「身体能力は劣るが頭はいい」キャラクターとして生き残っているのは、私の知るアニメでは「キングダム」の「河了貂(かりょうてん)」位のものか。「キングダム」は、作品自体がもうある意味「殿堂」入りしていて、クール切りこそあれ、これからも長期で続いていくアニメであることはほぼ決定事項だろうから、話をゆったりと進めることができる。それに、大軍を動かす昔の中国の戦争の話なので、「軍師」がいるのも設定として当然だ。「軍師」は健康であれば、特別な体力は必要としない。女の子であっても指揮がちゃんとできれば問題はない。
「錆食いビスコ」にこの「体力ないけど頭はいい」タイプのキャラが出てこないのは、作品が生まれた生い立ちと、現在のアニメ界の「新人・新作」にかけられる時間の「余裕の無さ」も由来しているような気がする。
「錆食いビスコ」の原作は、電撃文庫である。つまり、ライトノベルだ。
ライトノベルは、「読む漫画」と言ってもあまり差し支えない。
軽いだけに、参入もしやすく、その分競争も激しい。
通常、ライトノベルで賞を取った作品は、ハードカバーではなく文庫で印刷され、書店に置いてもらえるのは2週間だという。その2週間でどの程度の売り上げを出せたかによって、作家生命がつながるか切られるかが決まってしまう世界だ。つまり、1エピソード1エピソードでの「面白さ」が勝負だ。
今のテレビアニメも同様、四半期成績が厳しく問われる。原作では一定の人気で連載している小説や漫画であっても、1クール分放送してみて、視聴率がイマイチだったらそこでアニメは終わり。続編が作られることになったら「2期目制作決定!」と、お祝いのように表示するようになった。裏を返せばそれだけアニメ制作現場が貧しく、世知辛くなったということでもある。
常に「今」で勝負しなければいけない時代となった。
つまり、11~13話の中で、一応の完結をしなければならなくなったのだ。

「宇宙戦艦ヤマト」(初代)の時代は、52話くらいが普通だった。
漫画家というのは「簡単になれる職業」ではなく、なれた人は雲の上の存在であり、それゆえに今のごとく変に厳しい競争もなく、アニメ制作会社も「ゆっくりと作品世界を構築し、展開する」のが普通であった。つまり、1年かけて放送していくのが割と普通だったのだ。1年かけられるなら、色々なキャラクターも分業制にできるし、遊びの回も作ることができる。

今はそんな余裕がない。平成の頃はそれでもまだ、26話の作品が多かった。今は、毎週ずっと続くオバケ長期放映番組と、作品終了まで1クールごとに少し期間を開けて制作する大人気作品と、後は1クールの中で評価される作品群、に分割される時代になった。

「錆食いビスコ」はそんな訳で、ビスコが「熱血バカ」と「メガネくん」の両方を一人で器用にこなす、というキャラクターになった。その分、今までは「忌浜県」の街の中という「温室」育ちだったミロ君が、少しずつ逞しく成長していくことになるのだろう。
ちなみに、ミロの姉のパウーは、「バイク」と「ソード使い」「戦闘能力」にかなり極振りしている感じがする。最近のアニメは「本当に強い」女性キャラが増えてきて、見ている方としては楽しい。さらわれて助けを求めるだけのお姫様とか、とりあえずセクシーな女性キャラ入れとけみたいな扱いが無くなってきたのは、見ている女性のワタクシとしては嬉しい。
7話の展開が「詰め込み過ぎる」とSNSで言われているが、これも「1クールで視聴率の結果見せろ」という今の風潮の悪しき弊害ではないかと思う。逆算すると、1クールの終わりまでにはここまで話を展開させておかないとつじつまが合わない、ということなのだろう。
私自身は、オトナの都合で展開の尺が速くなったり間延びされたりするのは見慣れているから別に気にしない。
本気でその作品に惚れたのなら、原作を買って堪能すればそれまでだし、作者の本来の望みはそういうことだろうし。
無料で見せてもらってるのだから、多少の事でギャースカは言いませんよ、私は。

そういえば、ただ逃げているように見せておいて、罠に誘導する、というのは「鬼滅の刃遊郭編」で、竈炭治郎少年もやってましたね。
炭治郎もある意味、熱血と言えば熱血少年だと思います。(まあ、伊之助という更に常人を超えた熱血少年もおりますが……)

令和の熱血は、ちゃんと罠も仕込める。バカじゃない。

そんな事を感じたここ最近でした。

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