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理想郷
朝、卵を炒って鶏そぼろと一緒にご飯の上にのせて食べた。朝からこんな豪華な食事いつぶりだろう。寝起きでフライパンを出して意識も朧のまま卵を割って混ぜてフライパンに投入する行為をよくできたと感心する。切れ目をいれたトーストにバターをのせるのもいい。けれどうちにはトースターがないのでこの夢は儚くも大学生のうちは実現できない。理想の朝をあげようとするならばキリがない。豆から作ったコーヒーを飲みたいし、できることなら日の出を見ながら朝を迎えたい。8時までのゴミ出しぴったりに目覚めることで精一杯の大学生。
朝目覚めてすぐにSNSをチェックした。朝一番に体に毒をいれる感覚やめられない。すぐさま目に入ってきたのは伊坂幸太郎の新作が発売されること。読書を好きになったのが大学生に入ってからだったのもあり、伊坂幸太郎作品の新刊に巡り会ったことがなかった。これは買いに行かなければならない読みたくてたまらない。大好きな作家の新作を求めて開店と同時に本屋へ向かうこと、これこそ理想の一日の始まりではないかと内心高揚していた。
短編ということもあって買ったその日に読み終わった。ここでは感想を書くつもりはないけれど、私は本の中でも装丁を見るのが嗜好なもので、今回の新作は装丁が箔押しだったことには腰を抜かしそうだった。光にあてるときらきらして、箔押しじゃない部分は黒だからそのコントラストがまた異世界味を感じられて素敵だった。いつか母が本を買うときには装丁なんてまったく見ないと言っていたのを思い出した。世の中にはそういう人もいるんだなと。"誰かの特別は誰かの当たり前"がごろごろ転がってる。
せっかく大学へ行ったのに身に入るような勉強もできず、学食を食べて本を読んでいたら窓から見える空は薄暗かった。いつもは端っこのカウンター席で騒々しい学生たちを背中にもくもくと食べているけれど、この日食堂に人が少なかったのでテーブル席を一人で使ってみた。そこへ学生一人がやってきて、私と同じように悠々とテーブル席に着席した。少し目線をそちらの方に向けると、手を合わせて少し身をかがませていた。はっきりと「いただきます」が見えた。
一人でご飯を食べている人はなかなかいないのではないかと私は思う。現に私も「いただきます」とは口に出しても手を合わせることはみんなで合唱をしていた小学生の頃の記憶で止まっている。だからこそ、その姿を見てなんだか心がじわーんとした。あの人にとっては当たり前のことなんだろうな。
人が少ない大学はとても好きだから、長期休暇の間は予定がなければ大学へ行ってしまう。行ったところで勉強のやる気が出るわけでもなく、ただ図書室に置いてある本を読み漁る時間が流れる。天候もほんの少しずつ穏やかになってきて、春の匂いを感じ始めた。テラスに出ても本を読んだ。外に溢れる生活音に耳を傾けながら陽を浴びて夢現な心地。こんな毎日を送れたらいいのに。どこかに逃げたいなんて思わない生活が欲しい。