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誰かのためにできること ~コロナ禍での気づき #1~

あの日常はなんだったの?

 コロナ禍により私の会社もテレワークが基本となり、生活が一変した。これまでは5時台には起床し、娘二人のお弁当作りや朝ごはんの支度、そして送り出し、同時に自分の身支度をし、呼吸困難になりそうなぐらいの朝の通勤ラッシュでみず知らずのおじ様と、家族でも密着しないほどの密着ぶりで、さらにはポジションを間違えると足がつるか、あばらが折れるかの、「いつもの朝」を送っていた。いつもの朝、そう、それが日常だった。

ここ半年の朝といえば、早い時は6時に起き、ゆっくり顔を洗って小顔マッサージ、4月の緊急事態宣言時にずいぶん増えたグリーンたちにお水をやり、その後気分が乗ればヨガなんぞやったり。毎週火曜日には瞑想の朝活も。そして8時にはPCをあけてまずは趣味の延長で始めたイベント企画や副業。9時からは本業開始。

ベランダのグリーンたちはこれまでも何度も買っては枯らしてきた。朝のほんのひと手間はあっただろうけど、「心の余裕」がなかった。たぶん、ここまで毎日植物に水をやれたのは、小学生の朝顔以来の快挙だと思う。

漠然とした「後ろめたさ」

とくに週末も出かけられなかった4月、5月にはあまりの時間の豊かさに、こんなことしてていいのだろうか?世の中にはコロナで大変な思いをしている人たちもいる中、むしろ、余った時間を持て余している自分。この時間を誰かのために使えないか?そして頑張っている人たちにエールを送る何かができないか?と宅急便業者に慰労のチョコを渡したり、エッセンシャルワーカーに売上の何パーセントが寄付されるという商品をかってみたり。お金で解決できることももちろんあるけれど、でも何か満たされないものがあった。

そんなとき、知り合いから顧客の飲食店がコロナ禍で大打撃を受けている。ITを使って何かなす術はないかとの相談をうけた。色々な地域でそういった人たちが知恵を絞り、発注が減り破棄されそうな食品をネット販売したり、未来の食券を売ったり様々な試みをしていた。そんな方たちを見習い、クラウドファンディングの立ち上げから、運営まで全てを受けることになった。

クラウドファンディング立ち上げから得たこと

安請け合いをしたもものの、支援数は思うように伸びなかったし、リターンをどうやって支援者のもとに届けるのか?試行錯誤だった。立ち上げることは簡単。でも、リターンを届けるまでが一番肝になる。リターンは食券だったが、電子にすると広い年齢層に使いにくい。でも、紙にすると郵送のてまや、偽装が発生するかも等々、色々なケースを想定したし、多くの時間を費やしたと思う。でも、誰かのために何かをやっている、という自己承認欲求は満たされた。これでいいのかな?という迷いは常にあった。でも、それが自己満足だったとしても、何もやらないよりはずっといい、と思ってやってきた。

リターンをすべての支援者に届けられたときには、本当に達成感があった。目標金額は達成できなかったけれど、それによって得られたものは大きかった。店主からお礼を言われた時もとてもうれしかった。それなりの対価を頂いてやっている本業でお礼を言われるよりもずっと嬉しかった。

クラウドファンディングは簡単にできるようで、そうではない。長くIT業界にいたことで得られた知識が生かされた部分も多かった。また、IT業界の中でも、プログラマー、SE、営業と様々な業種を経験してきたことも大きかった。自分が今まで当たり前にやってきたことって、ただただ23年の時が過ぎていたわけではなくて、ちゃんと経験となって積み重なり、自分の価値になっていたのかもしれない、と思えるようになった。





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renaître
『好き』を仕事にするために、始動し始めました。まだまだ卵にもなりかけてない構想ですが、徐々にnoteでも公開して行きます!