「良いものは知っとけ」という話
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小さい頃から父に「良いものは知っとけ」と言われてきた。
主に食に対して顕著で、小さい頃から出前は近所の鰻屋のうな丼をとっていたし、餃子を食べるにしても母の手作りよりは餃子専門店のものを食べていた。
もちろん毎日そんな食生活はしない(できないし)それでもたまに父はA5ランクの牛肉を買ってきたりマスクメロンを買ってきたりした。
とうもろこしも飲むお茶なども農家から直接買い取っていたし、なかなかエンゲル係数の高い家庭に育ったと思う。
それでも小さい頃の私はブタメンが好きだったし、今でも肉は100グラム100円を超える物はほとんど買わない。
食以外でも天体観測のイベントに連れて行ってくれたり、川の水質調査で清流の生態系を調べるイベントにも連れてってくれた。
父から貰う服や小物は誰もが知るハイブランドのものだったし、10万近いコートとかしれっと買ってくれた。
それでも私はGUの服ばっかり着るし、2000円を超えるTシャツなんてライブTシャツくらいでしか買わない。
じゃあ父の「良いものは知っとけ」という教育は失敗に終わったのかというとそうでもないと思う。
父が言っていた「良いものは知っとけ」というものは「良いものを食え」とかそういうのではなく「ピンキリを知れ」と言い換える事ができる。
小さい頃から上質なものに触れてきて、良いものと悪い(または安い)物の違いを知る事で、そしてその両方を楽しめる感性を持つと人は感覚を豊かにすることが出来る。それは長期的に見て人生の幅を広げることにもつながる。
今まで100グラム98円のオージービーフを食べてきた人はそれだけで満足できるだろうが、選択肢がそれしかなくなる。
たまには奮発して、と思ってもいい肉の味を知らないからその魅力を理解できない。
いい服を買おうと思ってもそれがユニクロとどう違うのかわからない。
この選択肢を広げるということが父の言いたかったことなのだと感じる。
実際にそれらのものを買えるかどうかで言えば買えるようなお金は持ってないし、安物で満足しているのだけれど。
なんだかとっちらかってしまった。
つまりは「100g700円の豆を挽いていれたコーヒーも、インスタントコーヒーも両方知っていて、そのどちらも楽しめるようになれば人生豊かになるよね」
とそういう話。
そんなことを思いながらこの間実家へ帰った。
預金残高を眺めながら「うーんやりすぎた」と父が言った。
そう
この教育法はお金がかかる。とても今の私だったら出来ないし。
理想的ではあるけどおすすめも出来ない。
難しいなぁと思いながら今日の晩御飯はつぶグミ一袋
この不摂生も直さねばと思った今日このごろ。
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