歴史考証家 北川歩の日常2
北川歩は歴史考証家だ。企業の社歴編纂から土地家屋の権利に関する民事裁判まで、様々なシーンでお呼びがかかる。
ただし、歴史考証家は判定を下さない。いつでも語尾に「ご参考までに」と付けて去っていく。
そんな彼の日常について話そうと思う。ご参考までに。
Chapter 02
失われたご本尊
老舗製麺メーカー「あにまるき」のご本尊
12月初旬、東山の紅葉はまだ見頃であった。
北川は京都に本社を構える製麺メーカー「あにまるき」に招聘されていた。
「あにまるき」は、創業者・加藤桃吉が一代でグローバル企業へと築き上げた製麺メーカーであり、長年「きつねラーメン」や「たぬきラーメン」など、ユニークなラーメンを開発し、多くの人に親しまれていた。
桃吉は10年前に亡くなっており、現在は二代目の奄吉が事業を承継していた。奄吉は承継以前より磐石に築かれていた桃吉帝国を、基本的には踏襲する形で経営を行っていた。
本社の屋上には、生前桃吉がよく祈りを捧げていた小さな神社が造営されており、今でも行事毎には社の前で神事が執り行われていた。
しかし、最近その神社で異変があった。
ある従業員が清掃の際、神社のご本尊が消えていることに気づいたのだ。
いつ遺失したのかも定かではないので、新たにご本尊を供えようということになったのだが、
そもそも何が祀られていたのかすら、承継者の奄吉も知らなかった。
社内ではご本尊は何だったのかと憶測が飛び交うこととなり、この機に乗じて、影響力のある幹部社員たちが「ご本尊はきつねだ」、「たぬきに違いない」などとそれぞれの主張を始めた。
この事態に頭を悩ませた二代目社長・加藤奄吉は、真相を究明するために歴史考証家である北川歩に託すこととなったのだ。
「生前、動物をこよなく愛する父でしたので、何かの動物がご本尊だと思うのですがねえ」と、奄吉は膝の上の猫をさすりながら事の次第を説明した。
北川はまず、あにまるきの内部で権力を持つキーマンに話を聞くことにした。 いずれも桃吉の薫陶を受けた幹部社員であり、それぞれの主張は異なっていた。
秘書室長、百瀬の話
経営企画部秘書室長である百瀬は、生前桃吉の最側近の人物だった。彼女によれば、桃吉は行商時代に日枝神社で一夜を明かした際、白い狐が現れ製麺業を生業にするよう神託を与えたという。桃吉はそれから「きつねラーメン」を開発し、これが会社の始まりだとよく語っていたそうだ。
「ご本尊は狐に違いありません。桃吉様は狐を神聖視していました。それに、お稲荷様は五穀豊穣の神です。」と百瀬は断言する。
工場長、穴川の話
次に聞いたのは工場長の穴川だ。 桃吉が若い頃、製麺機を担いで箱根の山を越えようとした際にたぬきに騙された話を、晩年よくしていたと穴川は語る。
「桃吉さんは山中で道に迷った時、ラーメンをたらふく食べる幻を、たぬきに見せられたんだと。そこからたぬきラーメンを開発したんだよ。ご本尊は絶対にたぬきだよ。きつね?百瀬のやつ、経営企画部門の影響力を高めたいから、そんな嘘をついてやがるんですよ。とんだ女狐だ。」と彼も譲らない。
マーケティング部部長、増田の話
最後に聞いたのは、マーケティング部部長の増田だ。彼女によれば、売上に伸び悩んでいた時期に、それまで桃吉が手を出さずにいたとんこつラーメンを発売して大ヒット。以来、豚に対して深い愛着を持ち、実際に養豚を始めたという。
「ご本尊は豚ですよ。あにまるきがここまで成功したのはとんこつラーメンあってです。実際桃吉さんも養豚場に足繁く通われてました。たぬき?穴川さん、工場のライン充当にはたぬきラーメンの増産が望ましいってよく主張してますからね。たぬき親父らしい発言です。」と当然の如く主張する。
安畜寺での発見
狐に狸に豚、狸はまだしも豚がご本尊などということがあるのだろうか。北川は桃吉の生前の移動記録を秘書室に依頼した。なるほど、確かに養豚場へは業務の合間を縫って頻繁に通っていた。「養豚場へはよく通われてはいました。しかし、ご本尊に豚は絶対にありえないです。増田は目先の利益でしか物事を判断しません。豚並みの脳みそですから」百瀬は顔をしかめて付け加えた。
桃吉は確かに養豚場に通ってはいるが、養豚場の付近にある動物供養の寺「安畜寺」に行くことも常に付随しており、北川はこの寺に何かヒントが隠されているのではと推察した。
あにまるき本社の北東、一山越えたところに位置する安畜寺を訪れた北川は、住職から意外な事実を聞かされる。安畜寺は、桃吉が亡くなる直前に、ある動物の骨の保管を依頼されていたというのだ。住職曰く、その骨が本社屋上の社に安置されていたご本尊だったのではとのことだ。
ご本尊との対面
調査を終えた北川は、あにまるきの会議室で、キーマン3人と二代目社長を面前にして慎重に説明を始めた。
「ご本尊かと思われるものが発見されました」
北川はまず、安畜寺で発見された小さな骨壺を全員の前で開けた。
「これは…」
「きつね?」「たぬき?」「とんこつ?」
3人の社員が同時に発言する。
「どれも違います。これは、桃吉さんが生前に飼われていた飼い犬、クロの骨です」と言い放った。
驚きの表情を浮かべる社員たちに向かって、北川はご本尊の由来を静かに語り始めた。
「創業者である桃吉さんは、戦後の貧しい時代に、愛犬だったクロが家族の食糧とされてしまった暗い過去をお持ちでした。桃吉さんが食品会社を始めたのも、飢えで苦しむ人を減らしたいというお気持ちからであり、生を繋ぐ動物への感謝を忘れないという思いが、常にあったようです。そのために、クロの骨を神社のご本尊として祀っていたのだろうと推察します。争いを憎み、動物への慈愛溢れる桃吉さんは、今このような状況を望まれているのでしょうか。ま、ご参考までに 」
その説明を聞き、百瀬、穴川、増田はしばらく沈黙した。 自分たちの優位性を高めるためだけに異なる主張をしていたが、桃吉が生涯守り続けてきた信念を知ると、自然と気持ちが一つになったのだ。
北川の油断
その後、3人と二代目社長は安畜寺へ赴き、桃吉と愛犬クロへの感謝を込めて祈りを捧げた。彼らはそれぞれの立場を超えて、桃吉の思いを受け継いで会社を盛り立てていこうと誓い合った。
北川はそっと後ろからその様子を見届けると、微笑を浮かべ静かに踵を返した。
今回は麺を食べずに済んだ、とほっと胸を撫で下ろした北川だったが、別れ際に渡されたおみやげ袋の中には、きつね、たぬき、とんこつ味の各ラーメンと、新製品のねこラーメンがぎっしりと詰まっていた。