「安倍国葬」-最大の課題は世界史に刻まれる一大イベントに仕立てられるか
困ったことに、まだメディアや野党、ネットでは「国葬にするべきか否か」という、何も生み出さない子供じみた反対vs賛成の論争ごっこが繰り返されている。
先にも書いた通り、安倍元首相の国葬はお葬式ではなく「外交」である。そしてこの多国間外交において、最も重要な課題は、「いかにして国葬に世界中の首脳クラスを参列させ、安倍元首相の功績を讃えるとともに〝自由主義国家の連帯〟を内外に力強く打ち出すイベントに出来るか」だ。
このようなことを書くと安倍ファンクラブの方々のお叱り受けると思うが、安倍首相を弔うのは建前というか理由づけのようなものだ。その死を確実かつ上手に「利用」できるかに、今後の世界の行く末が豊かなものになるか、はたまた破滅的な未来へ進むかの、歴史的な転換点になる。
一人の政治家が亡くなっても、その他の大多数の人々は生き続けている。いつまでも哀しみ、喪に服しても意味がない。安倍元首相にとっても、その死を確実に利用されてこそ、外交史に残る政治家として本懐というものだろう。
国葬を閣議決定する前に、おそらくアメリカのバイデン大統領の臨席の内諾をとったと思う。(一方的に決めたのなら問題外)すでにトランプ前大統領は出席の意向を表明しているので、さらにオバマ元大統領まで加われば、アメリカの歴代三人の大統領が揃って肩を並べることになる。なかなか壮観な絵になる。そうなれば、インド、オーストラリアはもちろん、当然、イギリス、ヨーロッパ諸国、東南アジア、南米、中東、中央アジア、南アジア、アフリカなどの国々も参加する動機ができる。こうやって「国葬に参加する合理的な理由」を作り出して広げていけばいい。普段なら中国の反感を慮って西側が主催する会議や会合に積極的でない国も「葬式」が理由なら堂々と列席することが出来る。
こうやって世界中の首脳が集まった国葬で訴えるのは、安倍元首相が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」であり、「自由」「民主主義」「人権」「法の支配」という普遍的な価値観である。その共通の価値観をもった国々の代表の結集が意味するのは、当然「力による現状変更」の否定であり、「一党独裁国家」「専制国家」への対抗姿勢を鮮明にすることである。既に日本政府はプーチン大統領の出席を拒否する意向だ。中国からは習近平主席の来日はあり得ないとして、外相クラスが参列するかは分からない。この辺りは中国政府が勝手に悩めばいい。
第二次世界大戦の戦勝国連合がつくった国連は、このたびのロシアによるウクライナ侵攻によってあらためて有名無実化したことが明らかになった。しかし、ロシアと中国は、もなや平和の維持や国際紛争の解決に無力な枠組みを死守しようとしている。一方、G7は言わば「冷戦の戦勝国連合」なのだが、今や新興国や途上国は、一部の先進国だけが作った国際秩序やルールを唯々諾々と受け入れてくれない。
だからこそ、これからは世界の国々は「自由」「民主主義」「人権」「法の支配」という、共通の価値観によって連携する必要があるのだ。
今、世界は第二次大戦後最大の「危機」に瀕していると言われる。いたずらな衝突を回避し、カネや武力や資源によって途上国を支配しようとする国を許してはいけない。そのために、安倍元首相の「死」を象徴的なものとして徹底的に利用すべきなのだ。
岸田首相の使命は極めて大きい。(しかし、たぶん岸田さんにはその大役はつとまらないだろう。頭が痛い。誰か他の人が後ろで演出する人がいればいいが)
【オマケ】橋下徹氏がテレビで「手続き」を問題視しているようだ。彼が手続きを云々するときは、「偉そうに断言する商売なのに、とくに知識もなければ私見もない」という時の常套手段である。だから相手にする必要はない。
「橋下くん、困ったときの、手続き論」と覚えておけばいい。