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悲しいできごと
今日は少し悲しいことがありました。私は歯医者にポスターを貼っています。ずっと朝から晩まで同じところにいるので、気分転換したいので、時々ポスター貼り替えることで飽きないようにしています。
先日枚方ハーフマラソンいったときに、大阪で、可愛らしいイラストのカレンダーを見つけました。月ごとに綺麗なイラストで、一枚一枚が分離されていて好みなので、2000円くらいで購入。それを適当な大きさの額に入れて歯医者に飾ってと職場のスタッフにお願いしました。
そして、戻ってきた絵は、全体のポスターのイラストの中の一部のみ切り取られて、小さな額の中に入っていました。切り取られて。😨
もう一つの額には二枚分のポスターのイラストが大きな額の中に並べて貼られていました。二枚貼ってあったのは、一枚ずつ額にいれてほしいからやり直してほしいと伝えました。切り取られてしまったイラストは残念ながらそのままです。可愛い苺🍓が真っ二つに切られていました。涙。額なんて大小たくさんあるのに。
最初にこの額にこの絵を切り取らないで入れてほしい。一つの額には一枚の絵のみ。と指示すればよかったのでしょう。でもまさかイラストを切るとか、二枚同時に額に入れると思いませんでした。これはイラスト好きな私にはかなりのショックでした。何を言いたいかというと、人の感覚。人の常識はひとそれぞれであるということである。私は
一枚の絵は全体として成り立っているもので、部分的にしたら、それは作者の意図にそぐわないのではないかと思ってる。でもそう思わないひともいるのだ。書いた絵を好きに切り取っても、額に合わせてもそれは同じものだと。
人に指示するのは大変。人に教えるのも大変。伝えることは難しい。
杉原先生は若い子から年配の方、性別、国籍、様々なものを越えて、指導しないとなのだ。
そして、もうひとつ、こっちのほうが大切な気づき。
昨日、私が先生が教えてくれる1時間のレッスンをもっと大事にするように言われた(実際は言われたわけではない。遠回しに言われた。宿題ちゃんとやって、他のひとはもっとレッスンに貪欲だよってことを言われた。)その気持ちがすごく良くわかった。真剣に受けないのは、切ることと同じ。イラスト書いた絵を切られるような気持ちだ。自分の書いた絵を切られるのと、自分が提供した時間を大切にしないことは同じことだと思う。もちろん受け取る側の自由。でも提供する方は大事にしてほしいって思うのだ。ハートの問題。絵を切り取られた私は、描いた作者の気持ちを思いすごく悲しかった。レッスンを真剣に受けないことは先生を悲しませることだ。
芸術だって、運動だって、同じ。切り取られたイラストはもう戻ってこない。先生に教えてもらった時間も戻ってこないのだ。厳密に言えば、大阪の同じ店に行けば全く同じものが買える。でも先生から習うことはお願いしても、全く同じではない。だって人間だから。切り取られた時間の方がもっと大切。