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ひよっこ神職の小さな挑戦記録 #0

令和6年3月、11年勤めた市役所を退職した。
市役所の仕事に不満があるとか、人間関係に困難が生じたとか、思われるかもしれないが、全くない。11年間ほんとうに人に恵まれ本当に楽しい時間であり、できることなら続けていたいとさえ感じている。

11年前、人の役に立つことができる人になりたいと市役所に入庁した。
大学院のようなイメージで、まちづくりを実践で学べて、さらにお金ももらえるという最高な職だと感じていた。このときは5年ほどで次のステージへ行こうと思い働きはじめた。

ちょうど5年目に文化財担当の職につき、これがなかなか面白くてやめるにやめられなかった。最高にぶっとんでいる先輩にもここで出会えた。

様々な挑戦を通して、山梨は古代より宗教都市としての経糸が鎮まっていることに改めて気付かされた。
そして、その経糸が完全に眠りについてしまっていることにも。

なまよみの甲斐國

広報や文化財の仕事を長くさせて頂き、最後は生活保護の仕事に異動になった。
聞くところによると生活保護の仕事は大変で、心身病める人も多いという。
しかし、自分にとっては市役所史上最高に楽しい仕事だった。

生活保護の方って普通に暮らしていても、なかなか出会えないし、社会の闇というかなんとなくタブー視されている感じもある・・・
しかし、実際には心が真直ぐな人が多かった。社会に適用できる私たちはどこか濁りを抱えているが、そのような濁りのない方も多かった。

時を同じくして、諸々のご縁により神職を志すことになり勉強がはじまった
日中は、生きること、食べることが叶わない方々の相談・支援をして、
夜は神様について学ぶという2年間は最高に濃密な時間だった

毎日が現状公案で、「生きること」と「死ぬこと」、命の軽重について真摯に考える時間をいただけた。動物とヒトの境とは、ヒトと神さまの境とは、、、という問いが脳内に反芻していた

仕事と勉強に専念できたのは家族の支えがあったからだ
夜中まで勉強できる時間を作り出してくれて本当に感謝している
恩返しなどはこれからの生活でするしかないが、一つのお土産として神職の学校を2年連続で神社本庁統理賞という成績で修められたことも嬉しかった。
これに至るには私が師事している先輩神職の先生方のご指導があってこそのものであった。

白洲正子先生も心を傾けていたという杣口金櫻神社の奥宮

そんなこんなで、楽しい11年が過ぎ、自分のことを面白いと思ってくださる方が現れ、会社に誘ってくれた。
「百年かけて国のデザインを変える」ことに取り組んでる方だ。
めちゃくちゃおもしろい挑戦だと思った。市役所もめちゃくちゃ楽しけど、こっちの挑戦もめちゃくちゃおもしろそう。たくさん悩んで、新しい道を選んだ。

そして、ここから11年かけて自分もひとつ社会実験をしようと考えた

「まちが元気だから神社が元気になるのか」
逆に、
「神社つまりそこに住まう神様が元気になるとまちが元気になるのか」
という実験である

社務所もない、常駐の神職さんもいない過疎地域の山の中の神社に奉仕して、まずその土地の神様が元気になるように活動して11年たったとき街がかわるのか、変わらないのか?という極めてシンプルな実験だ

時間はかかるけれど結構おもしろそう。
まずは、毎朝神社を掃除して日供祭という日々のまつりをはじめた。

現状は参拝者はなく、鹿の足跡だけがある境内・・・
枯れ葉に埋もれた境内を少しずつ、少しずつ、きれいにしていく日々のはじまり。

日々の祭りを怠らず・・・

子どもころから竹箒が好きで、境内が少しずつきれいになることは嬉しく、掃除をさせていただけることに感謝の念が込み上げる・・・
境内をきれいにしているようだが、己のなかの邪念を祓うことになっていることにも気づかせていただいく・・・

ひよっこ神職としての挑戦を遅筆ながら、記録していきたいと思う。
貴重なお時間をいただき、耳を傾けてくださりありがとうございます。


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