tarotjournal23 現実はすべて再体験 - タロットでみる創造の男性原理と女性原理 -
無意識が世界を創っている
このnoteを読んでくれている方は、心の中にあるものが現実を創っている、もしくは投影されているという話を聞いたことがあるとおもいます。
”タロットは心を映す鏡”という解釈は、この世界観に基づいています。
この考え方は「奇跡のコース」の中でも述べられていますが、もう少し踏み込んでいます。
外側は単なる投影ではなく、それはあなたの願望であるとはっきりいってますね。
たとえば、「自分は愛されない」という信念を抱えていれば、それにふさわしい体験をします。愛されない経験や人にしがみつきます。それがあなたが「真実であってほしい」と望み、手放したくないことだからです。
そんなことは望んでないと思うかもしれないけど、わたしたちのエゴは望んでいるのです。エゴが望むのは象徴的な「死」です。よくよく心を観察すれば、わたしたちは死にたくないといながら、どこかで死に魅了されています。
そしてそれを認めないことには、真の平安や愛に目覚めることは不可能なのでしょう。自分を知るとは、この無意識の奥深くに隠された「自分の願望」に気づくところからだろうとおもいます。
現実はすべて再体験
ということを踏まえたならば、現実はすべて再体験です。心の中にあるものを、わたしたちは肉体を使って、三次元世界で再体験しています。
そしてこの三次元体験は、プロジェクションされた映像のようなもので、そこに実体はありません。
影をどれだけ踏みつけられてもわたしたちが痛みを感じることはないし、死ぬこともないですよね?影は、実体に影響を及ぼすことはできません。いる次元が違うのです。
肉体と本来の自己との関係も同じです。肉体に何が起こっても、本来の自己であるスピリットは痛みを感じることもないし死ぬこともありません。
けれど、実際には悪口を言われれば傷つくし、刺されれば痛いし、死は存在すると信じているのは、アイデンティティが肉体(分離された自我)と一体化してしまっているからです。それは、夢の中で起こっています。
でもまあ理屈はともかく、一体化したアイデンティティを持っている以上、「夢だから」でこの話を終わらせることはできません。わたしたちはいつだって創造することを望んでるのだから。
創造原理を表すタロットカード
内なる男性原理と女性原理が結ばれて、現実世界に物質化が起こります。
タロットで例えるなら、
男性原理:魔術師
女性原理:斎宮
の共同作業です。
魔術師はレムニスケートの形∞をした帽子を被っていますが、永遠と無限の世界(量子の世界)に接続していることを表しています。ここと接続して左手の杖を振るわないと創造は起こりません。
魔術師が望み選んだことを受け取るのが、斎宮です。
女性性の本質は受容性なので、彼女は自ら選ぶことはありません。手には本を持っていて、彼女は全身全霊で魔術師の指したページの言葉を受け入れています。
男性原理が選び、女性原理が受肉します。
斎宮の創造的女性原理
繰り返しますが、受肉・具現化は再体験です。再体験するには、オリジナルを思い出すという行為が必然になります。
この記憶を思い出す(Remembered)行為は、とても創造的なものだと、サリーニコルズは言います。
単に機械的にファイルの中から取り出すようなことではなく、基本的には回復させ創造する行為であると。
なぜなら、過去のことを思い出すときわたしたちは、今この瞬間に自分が感じていることを紐づけて再生するからです。嫌い、憎い、嬉しい、楽しい、悲しい、絶望、虚無感、そういった感情と記憶は結びついています。
過去許せなかった人が、あれも必要な経験だったと思えるようになるのは、この思い出すという行為に再創造がなされたからです。
記憶が変わるのではなく、記憶に紐づけられている意味や情動が変わる。過去を書き換えることができるのは斎宮です。記憶の創造的行為は、女性原理が得意とするものです。
けれどそれを意志するのは、魔術師でなければなりません。
魔術師がエゴと共に選ぶなら、魔術を行います。
魔術師が聖霊と共に選ぶなら、それは奇跡になります。
思い出したくない、無意識の奥に追いやってしまった人を、新しい全体性へと連れ戻し、集合的な世界へと復帰させることが斎宮には可能です。
斎宮と共に誰かを思い出すことによって、わたしたちは新しい実体を創造することができるのです。
斎宮は、ひとりひとりの心の内にある聖なる祭壇にいます。