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あなたの手を
昨年大叔母が亡くなってから、ずっとnoteに書こうと思ってるんだけど、もしかしたらこれは、誰でも見られるような場所でオープンにするような話じゃないのかもしれないと思って、ずっと書けないでいた。
だからとりあえず、公開するかしないかは置いておいて、ここにつらつらと書いてみようかと思った。
大叔母は父方の親戚なんだけど、我が家は父方の実家との折り合いが悪い(というか父が縁を切ってる)ので、わたしにとってのおじいちゃんおばあちゃんはずっと1組しかいなかった。
父の実家に行ったのは唯一おばあちゃんが亡くなった時だけど、7歳ながらに感じたあの空気の悪さは凄まじかった。
父が寄り付かないのも、わかる気がした。
だけどそんな中で唯一、大叔母だけは父とずっと繋がっていてくれた。明るくてお茶目で、あの家の空気からは想像もつかない程、可愛いひとだった。
ベリーショートにくるくるのパーマをかけて
いつも明るめの茶色にしていた髪の毛は、
周りにはいない不思議な存在だった。
自分が大人になってからは、
鏡に映る自分が、たまに大叔母と重なるときがある。
わたしは父にも母にもあまり似ていないけど、
もしかしたらここに、自分のルーツがあったのかもしれないと気づいたのは、大叔母が施設に入って、もうあまり会えなくなってからだった。
大叔母はいつも口癖のように、
「姉はかっこよかった。なんであんないい人が早くに亡くなっちゃったんだろう」
と言っていた。
姉であるわたしのおばあちゃんは、
背が高くすらーっとしていて、
宝塚の男役のような人だったという。
地元でたまたまおばあちゃんを知っている女性に会った時は、今でも思い出してはまだ憧れが続いているかのような話しぶりだった。
父も同じく背がたかくすらーっとしているから、
なんとなく想像はつく。
だけどわたしは、
「長生きしちゃってずっと美味しいもの食べちゃう」と言う大叔母が、
70になっても80を越えても、
食べたいものを聞かれればすぐにお肉という大叔母のことが好きだった。
大叔母は、生涯(たぶん)独身だった。
わたしの知ってるその世代の方々とは、
まったくかけ離れた大叔母という存在が、
少なからずわたしの見方や憧れに影響を与えたんだと最近になって考えはじめた。
会うといつも大喜びしてくれて、
帰るときはいつも名残り惜しそうに手を握りしめてくれた。
わたしが髪を短くしたりボーイッシュな格好をしているのを、唯一
「かっこいい」
と褒めてくれる大人だった。
あの、嬉しそうな、でもそれだけではないような表情の意味を、わたしは結局わからないままだ。
だけど、亡くなってからたまに思い出しては、
もしかして、大叔母もわたしと同じだったのではないかと考える。
そんなこと、勝手に考えていいことではないのかもしれないけど。
いつも、何かを託すように握りしめてくれた手の感触を思い出しながら、ずっと考えてる。
わたしは、大叔母ともっと話せたらよかった。
思春期と耳が聞こえにくくなる時期が重なって、
わたしは話すことを避けていた時期もあった。
あからさまにではなかったかもしれないけど、
きっと、感じるひとだった。
それでも、会いたいと言ってくれて
毎回あんなにも喜んでくれたことを、
30過ぎた今になって、どれだけありがたかったかと思う。
施設に入って
だんだんと会えなくなって
母がたまに会いに行っているのを、
わたしは話に聞いているだけだったのに
ほかのことがわからなくなっても、
わたしのことだけは、ずっとわかっていて
心配してくれていた。
干支が同じだからと、
干支の神社で買ってきてくれたお守りは
今もずっと持ち歩いてる。
(あのときも、それは持って逃げたのはずっと守ってくれていたのかもしれない)
会えなくなってから、
顔が見たいと思ってもおそいのに。
だけどもしかしたら、
わたしには元気な姿だけを覚えていてほしかったかもしれないと、
いつ会ってもカラッと元気な大叔母を思い出して
また勝手なことを考えたりもする。
だからわたしは、これからもずっと大叔母と別れる時のあの手を思い出し続けるんだろうと思う。
わたしのことをたくさんたくさん可愛がってくれたひとがいたことを。もしかしたら自分につないでくれていたかもしれない何かを。