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雑記:テレビゲームと私の人生史

 こんにちは,umenoです.

 私はファミコン,スーファミ,初代プレイステーションが子供のころに遊んだハードです.これまではゲームと子育てというテーマでお話してきましたが,今回は自分がゲームとどう出会い,どうして好きになったのかを振り返りたいと思います.「そんなゲームあったな」「同じような経験をしたな」なんて思ってくださる方がいれば,とてもうれしいです.

①出会いはマリオブラザーズ3

 幼児期に,ファミリーコンピュータの時の”マリオブラザーズ3”を友達の家でやっていたことを今でも鮮明に覚えています.友達の母親だったと思いますが「本当にファミコンが好きねー」とあきれた顔で言っていたことも記憶に残っています.グラフィックが魅力的で,システムも今のマリオに繋がるところが沢山ありました.タヌキマリオ好きだったなーと思います.

②我が家にはじめてやってきたのはスーパーファミコン

 ファミリーコンピュータは買ってもらえなかったのですが,スーパーファミコンは買ってもらいました.もちろんソフトはマリオワールド.スペシャルゾーンは最後までいけなかったですね.風船を取り続けるステージもむずすぎて,いつもブルが投げる球にやられてましたね.
 あと思い出のソフトはゴエモン2,ミッキーのマジカルアドベンチャー,ワギャンランド,ストリートファイター,ファイナルファイトなどなど.振り返ってみるとあまりRPGはやっていませんでしたね.一番仲のよい友達はファイナルファンタジー,ロマンシングサガなどが好きでやっていたのをよく覚えています.

③スーファミ時代は友達との貸し借り,家に集まってワイワイ

 ダウンロードなんてものは無い時代でしたから,カセットの貸し借りはよくしていましたね.遊びに行く約束したら「○○持ってきてねー」なんてよく言われていました.貸し借りが多かったので,カセットに名前を書いたりしていました.今でも中古ソフトをみると,誰かの名前が書いてあることもありますね.きっとその子も貸し借りを良くしていたのではないでしょうか.
 スト2,ボンバーマン,エキサイトステージなどはよく盛り上がった覚えがあります.上手い子のプレイを真似したり,「そんなことができるの!?」なんて尊敬のまなざしを送ったりしてました.

④そしてプレステ,64の時代

 次世代ゲーム機の時代に入っても,みんなで集まってやるスタイルは変わりませんでした.うちには64が無かったので,友達の家でマリオカートの風船わりを頑張った思い出があります.
 プレステ時代はバイオハザード2,メタルギアソリッド,クラッシュバンディクー,鉄拳,ダンスダンスレボリューション,ビートマニアなど.音ゲーも流行った時代でしたね.自宅では,特にバイオをずっとやっていた覚えがあります.ラジコン操作に慣れるまでが大変でしたね.最後のカウントダウンは間に合うのだけれど,何度やってもとてもドキドキしますね.

⑤ポケモンの時代

 初代ポケモンは衝撃でした.私は初代ゲームボーイ(重くて画面が黄色い灰色本体のやつ)で,”緑”をプレイしてました.面白すぎた上に,ポータブルゲーム機であったことをいいことに,公園などに出かけてずっと遊んでました.通信ケーブルも買って,よく友達とも交換対戦してましたね.サファリパークでケンタロス,ミニリュウを捕まえられず涙をのんだことをよく覚えています.

⑥大人になってから触れたもの

 高校,大学の時は部活や受験,サークル活動などが忙しく,ゲームに触れていませんでした.社会人になってからモンハンをはじめ,もう一度ポケモンをやってみようと思ったりして,ゲームを再開しました.今は子どもたちと思い出のゲームをしたり,最新作に触れたりと楽しんでいます.今はストリートファイターのアニバーサリーコレクションを子どもと遊んでます。もちろんアケコンで。

⑦まとめ

 一つ一つのゲームにかなり思い入れがあります.それぞれのゲームを思い出すたびに当時の他の思い出も蘇ってきます.成長とともにゲーム機が変わり,触れるソフトも変わる.それを通じて周囲の人との関わりが生まれたり.私にとってゲームはなくてはならないものだと改めて感じています.

本日も最後まで読んでいただき,ありがとうございました.


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