ADHDに気付かず40年生きてきた
実は私、発達障害(ADHD)を持ってます。
いきなりのカミングアウトです。
私もこのnoteで一年間、考え方、伝え方を200記事以上も書き綴っていたので、さぞかしtarosuさんはしっかりしている人だ、と思われていた可能性もありますが、発達障害なんですよ。
実際に友人や仲の良い方に話をすると、「考えられない」、「全く見えない」と言われます。
今回話そうと思ったのは、いずれこの事が人に知られるだろうから、どこかで言おうとしていたこと。そして、別に発達障害を公開しても、昼のお仕事や占い、カウンセリングに影響がないこと。この二つを感じたから書きました。
発達障害?ADHD?と、これを読んだ方はびっくりするかも知れませんが、今まで通り接して下さって大丈夫ですし、私もそれを望んでいます。
私の話をすると、私ADHDなんですよ。
典型的な。
それがわかったのが、数年前のこと。
お昼の仕事で私自身の心が病んでしまって、あれこれ調べるようになりました。そして、ADHDの事を知りました。
調べれば調べるほど、きっと自分はそうだと思い始めて、心療内科でテストを受けたら、適合率98%と言う驚異的なスコアを叩き出し、見事に認定されてしまいました。
ADHDに認定され、治療もしました。
と言うか、今もしています。
最初は薬の副作用に苦しみましたが、今は必要に感じる時にだけ薬を飲む形で対応をしているので、普通の生活にも仕事にも支障がなくなるレベルになってます。
私の場合、特に困るのは仕事の時。どうしても出来ない仕事があって、それは、経理業務や経費関連の業務。まるでお仕事にならないのです。
なので、他の人を頼ることになります。
この間、久しぶりに経理の事務作業をやる事になり、やったところ、見事に会社に損害を出して反省文を書くことになりました。
ものすごいわかりやすい。
仕事を振った人にも事前に言ってましたけど、出来ないものは出来ないんですよね。
占い師さんと言いながら、昼間は仕事をしているのですが、そこでは幸いにも自分の役割分担が出来たり、運良く苦手な経理業務を担当する事がなかったので、仕事を続けることが出来たのです。これがもし、入社当初に任せられることになったら、間違いなく仕事が続かなったでしょう。
プライベートでも困ったこともたくさんありましたが、何とか生きてきました。私自身、全てをADHDのせいとは言いたくないのですが、自分の人生で苦しんできたのは事実です。
過去を簡単に振り返ると、小学校の時は無口で大人しく、自分で話すことが出来なかったのでよくいじめられてました。
中学でも状況は変わりませんでした。
でも、算数・数学の勉強だけは大好きなのでずっと頑張っていました。
中学一年の最後にテストで満点を取って、それから周りは誰もいじめなくなりました。
高校に入っても、あまり友人と馴染むことが出来ませんでした。殆ど輪の中に入れずに居ました。
だから、いつもよくつるんでいたのは同じように大人しい子ばかり。
Twitterでたまに出て来る「わる様」に知り合ったのはこの頃。いつも茶化し、茶化されまくっていますが、本当に彼には感謝し切れないのです。
大学に入ってからも、人とうまくコミュニケーションが取れませんでした。
コミュニケーションが取れないから、恋愛なんぞうまく行く訳がない。それでも、しばらくして恋愛に興味を持ち、たくさんの人の心に触れて行くうちに、それなりに恋愛が出来るようになったのです。
そんな状態で就職したのですが、不思議と仕事に差し支えが出ずに仕事をこなしてきました。
それは、自分の特性に合った仕事をしていたから。私の仕事とADHDの話は今後話しますが、別にADHDでも世の中の大海原の流れに乗って行くことは出来るのです。多少、人生の荒波には船酔いしてますけどね。
占い師さんとしての話をすると、占い師さんのプロフィールに発達障害の話を出していないのは、私個人の特性を前面に出し過ぎるつもりはなかったからです。
相談者から発達障害の話をされたら、発達障害の話で返すことも多いのですが、それは私自身がそれを経験して、大変さを理解しているから。
だから共感をしながらお話をしているのです。
ADHD自体、私はその人の個性だと考えています。その個性が問題を引き起こしたり、こじらせたりすることで心が病んだり、身体に不調をきたしたりしたことがあります。それが、通常の人よりも大きい割合で。
ただ、自分の個性を自分で理解することや、ものの考え方を重ねて学ぶことで、ADHDに伴うしんどさを回避させることが出来ると言うのも、わかってきました。
だから私は、noteで「自己表現のコラム」を200本以上綴ってきました。自分の考え方をたくさん蓄えることで、心に別の方向から栄養を与えることが出来るし、困った壁を避けることができたのです。
そして、その考え方が誰かに伝わればいいな。そう願って、書き続けてきたのです。
これからもADHDと言う自分の個性と付き合いながら生きていくことになりますが、自分で楽しみながら、そして活かしながら、社会と向き合いたい。そして、自分で出来ない事は人の力を借りながら、過ごして行きたい。そのように考えています。
最後に占い師さんとして。これからも自分が感じたことや考えたことを綴りながら、向き合った人の心を持ち上げる。これを続けて、皆様と共に生きてきたい。こう考えています。
今日はえらく真面目な話をしましたが、この話は書くなら360日目のnoteに書こうと決めていました。
連続更新の365日目は、素直にお祝いしたいですからね。
365日経ったら、皆さんと一緒にお祝いしましょう。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
■お知らせ■
(このイベントは終了しました)
2月14日(日)
東京の水道橋で、占いイベントに出店することになりました。
「第2回ヒーリングマーケット漢祭り(おとこまつり)」
このようなご時世ですが、しっかり対策の上、特別価格の10分1000円でスタンバイします。
皆様にお会いできるのを楽しみにしています。
地図はこちらです。