相手の思い出をむやみに掘り下げない
つい最近、小泉今日子がAmazon Musicで聴けるようになった。
個人的にはものすごくハマったアーティストの一人なので、これは素直に嬉しかったのだ。
そして、車の運転中にベスト版を一曲目から順番に流すことにした。
すると、不思議と曲が流れていた当時の事が蘇ってくるのだ。
それぐらい、私はキョンキョン(小泉今日子)の歌と共に育ってきた。
それを私の横で聞いていた、私を一番よく理解している人、私はTwitterで「大王様」と呼んでいるが、この人も考えていたことは同じだった。
「木枯らしに抱かれては、小学生の時で、イントロの手を上げるポーズを真似したことがある」
「中学で学園天国を聞いて席替えに燃えたこともあった」
「あなたに会えてよかったは、いつもよくラジオで掛かっていたから思い出す」
どの発言がどちらの発言なのかは敢えて濁すが、このような形で、それぞれ思い思いに感想を述べていった。
しかしながら、段々と個人的に話したくない思い出が増えてくるのだ。
それは、お互いの口数が急に減ってきた事や、エピソードを考える時間が長くなったことで、お互いに何となく察知していた。
そして大王様が提案する。
「まあ、あなたに会えてよかったと言うことで、これ以上昔を振り返るのは良くない気がするよね」
その話を聞いて私も頷き、
「それは言えてるね」
と言って、二人で曲を聴きながら、昔の思い出を語るのはやめることにした。
その後、キョンキョンの歌について、これは小室哲哉だ、これは奥田民生だ、これは何のドラマだと言う話で盛り上がり続けた。
自分の思い出って、全ては語りたくないものだ。
話の内容によって、人に語りたい話と胸に留めておきたい話があるように。
ただ、聞く側としては、相手の素性を知りたいので、聞きたい部分もあるだろう。
でも私の場合は、無理矢理話を掘り下げるのは良くないのかなと思い、線引きをするようにしている。
ちなみに、我々の場合は暗黙の了解で。
もし、この調子で例えば私が初めて好きになった人の話をしても、相手はどう受けたら良いのかわからないし、場合によっては気分を害することもあるだろう。
私の場合は、いつぐらいの話だったかぐらいは聞くが、詳しい事は相手が話すなら聞くし、話さないならあまり聞かないようにしているのだ。
相手の事を知りたい気持ちは当然だ。
ましてや、信頼していたり、本気で好きな人だと尚更である。
ただ、相手にも立ち入って欲しくない部分は必ずある筈なのだ。
相手の思い出を掘り返さなくても、普段仲良くしている場合だと関係性はあまり変わらないし、掘り返す事で自分も熱が冷めてしまう部分もあるかも知れない。
また、相手にとっても嬉しくない話をすることもあるだろう。
相手の話、特に思い出話を掘り下げる度合いを調整するのはとても難しい。
調整する方法としては、会話の流れや相手の性格や趣向を踏まえ、これまでの経験則から勘案する形になるだろう。
パーソナルスペースの話がある。
相手が近づき過ぎると不快に思う空間の話だ。
今回の相手の思い出を掘り返す話は、心のパーソナルスペースの話になるのではないかと考えたりもしたのだ。
今回はお互いに「これはよろしくない」と言う雰囲気を察したので、うまく話の方向を変えることができたが、良い関係を続けるために、ここは立ち入る部分なのか、それともまずい部分だと言うのを見極めていかないとね。
そう改めて考えた出来事でありました。
ちなみに占いの時も、細かい派生の部分について話を掘り下げるよりも、核心部分をきっちり心に留めて貰うように、しっかりと伝えるべきだなと言うのを思い出したりもしました。
怪盗ルビイを聴きながらね。
まあでも、過去の思い出をたくさん掘り起こしてくれるキョンキョン。
いや、小泉今日子の音楽は凄いや!
そのように感じた一日となりました。