足を引っ張るよりも大切なこと
世の中には、人の足を引っ張る人は多い。
その理由の一つとして、「みんな平等の精神」があって、これが理由で「出る杭は打たれる」と言う考えに繋がって、「出る杭を引っ込めよう」というする考えに結びついているのではないか?
そう私は考えるのだ。
「足を引っ張る」とは、他人の成功や物事の進行を、意図的に妨害すること、とある。
本当に書いているだけで腹の立つ意味である。
でも世の中には、人の足を引っ張って、それを楽しむ人がいるのも事実。
人の失敗を笑い、物事の進行を妨げる。
そんな人は世の中に居て欲しくないけど、そのような人がゼロにはならないのが社会と言うものだ。そう諦念を持っておくしかない。
じゃあ、相手に対して同じ形で返すのか?
と言うと違う。
相手の話に自分が憤りを感じて、相手の土俵に立つのはよろしくない。
相手の土俵に立つと、相手の思う壺だ。
土俵の近くから、手応えのない相手と思わせるように声をかけるのが一番である。
具体的にかける言葉は簡単である。
ありがとう。
良かったね。
楽しそうね。
これだけで良い。
以前、プロ野球のダルビッシュ選手が呟いていたのを今でも覚えている。
久しぶりに引用して読み返したら、私とほぼ同じ形だった。相変わらず、見事な返し方である。
そして、この使い方の解説があるのも忘れてはいけないので貼っておく。
それは、相手はAIなので、自分もAIになりきると言う考え方である。
こうすれば、嫌な相手も面白くないから自分には声をかけてこなくなるのだ。
それでも、残念ながら世の中には足を引っ張る人は後を絶たない。
もし、そんな人と会った場合にどうすれば良いのか?
さっきの方法のように、対策をきちんと頭に叩き込んでおいて、いざという時に返すのだ。
そして、心に留めるべきことがある。
理想は相手を反面教師にすることだ。
こんな人になりたくないし、こんな人になってはいけないと、自分自身に心がけるのだ。
そうは言うものの、現実的には「目には目を歯には歯を」の精神で同じ形にしてやろうとする気持ちが勝り、同じ形で返したくなる時もある。
例えば、ゲームの世界だったり勝負の世界だと、「同じ仕返しをして勝つ」と言う形が勝利に近づく場合もあるから、同じ形で返して勝ってやろうと考えるのだ。
もちろん、そういう手段を選ぶこと自体、私は否定はしない。
でも人とのおつきあいは、スマートにするもの。
相手を敬う気持ちがなければ、人間関係もうまく行かない。
もし、自分が足を引っ張られた場合、どのような気持ちになるかを考えてみて欲しい。
自分がされて嬉しくないことを、同じように返すのは如何なものか。
相手に合わせて、次元の低い争いをする必要ないのだ。
本当に必要なのは、自分がやってもらったら嬉しいなと感じることを、行動や態度に示していくようにすることだ。
そうすることで、人間関係もうまく行くようになる。
もし、相手に「心」が感じられなかったりするのであれば、お付き合いを考え直せば良い。
仕事上、嫌でもお付き合いを続ける場面もある。そのような場合には、こういう人にはなりたくないと反面教師にしてしまおう。
「幸せなら手をたたこう」って言う有名な歌にも出てくるじゃないですか。
幸せなら態度で示そうよ、って。
だからと言って、意地になって自分が足を引っ張る態度で示す必要はないのだ。
「粋な大人になるように」と言うのは、父が私によく言ってた言葉である。
まだまだ私も粋ではないし、足りない部分は多々ある。
(粋であることについて考えたお話。今年一番スキが着いたnoteだったりします)
でも、少しでも粋になれたらいいな、態度に出せたらいいな。
そのような志を忘れずに歩いていきたい。
人の足を引っ張らないよう、自分のできる範囲で、少しずつ少しずつ、相手を褒めてあげるように、心地よくできるようになれたらいいな。
そんなことを考えた雨の長月の夜。
明日こそ、天気も心も晴れますように。
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