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「がむしゃら」に、自分の意思はない

がむしゃらって、「我武者羅」って言う漢字を書くのですね。
初めて知りました。何だか格好いい漢字に思えます。
意味としては、向こう見ずにむちゃくちゃに物事をするさま。とあります。

がむしゃらに勉強する、がむしゃらに先を急ぐ。
そんな使い方をするのは、ご存じの方は多いと思います。

考えてみたら、がむしゃらに何かをする事って、最近あったのかな?そのように考えてしまいました。

子供の頃はがむしゃらにボールを追いかけたり、勉強をしていたのに、大人になってがむしゃらにする事ってなくなったように思います。
ある意味人目を気にせずに、思いっきりやる訳ですよ。
これって、なかなかできないことです。

ちなみに、似た言葉としては、「遮二無二」と言う言葉があります。
意味としては、あれこれ考えずに強引に突破すること。とあり、我武者羅と同義語になります。

「我武者羅」と比較する言葉として出て来るのが「一生懸命」です。

一生懸命は、自分の意思で実行する。
対して我武者羅は、この先はわからないけど、とにかく実行する。
このような違いがあるのです。

大人になると、自分の意思で何かをする事が増えるから、がむしゃらな場面が少なくなった。
私はこう考えるに至りました。

自分の意思で何かを決めることは大切です。

そして、行動を起こすためには意思が必要です。
やってみよう。動いてみよう。面白そう。美味しそう。
こんな形で好奇心を湧き立たせて、意思を作り、行動につなげる。

「がむしゃら」の言葉を突き詰めて考えて思った事を書き出してみました。

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