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夜の目薬屋

昨日から身体の調子が悪かった。
スマートフォンを見る目がとても重い。
きっと激務のせいだ。

自分の肩をセルフマッサージでほぐしてみるが、今日はなかなかほぐれない。
かと言って、マッサージに行くには気が引ける。
それでも、取り急ぎは目を癒す必要がある。

夕闇に染まらない雨の中、私は近くにある薬局を探すことにした。
街の夜はネオンライトが眩しい。
見える景色は朧げな色に囲まれている。
眼がそうさせているのだろうか?

しばらく歩くと、同じ通りに二軒の薬局を見つけた。

一軒は、見た目もこれぞドラッグストアだと主張する青い看板の大手チェーンの薬局。

そしてもう一軒は、ショーウィンドウの左側に婦人服が飾ってあり、右側に薬の棚と奥に実験室のような小部屋が見える、赤いテントの不思議なお店だった。

私は昔の経験で、古びた薬局にはしっかりとした薬剤師がいるイメージがあった。
その昔、胃痛だった時に薬局の若い薬剤師が適切なアドバイスをして調剤をしてくれた記憶があったのだ。
その事を思い出し、自分の感覚を研いでみて、さほど問題がないお店のように感じたので、古びた薬局を選ぶことにした。

ドアを押し開くと、昔懐かしの来店メロディーが流れる。呼吸する場所が昭和の世界にタイムスリップしたかのように。

「おばあちゃん、お客さんだよ」
小学生ぐらいの子供が私に気づき、店主を呼ぶ。

しばらくすると、少しちゃきちゃきとした感じの老婆が現れた。

「何か御用かい?」
生活感溢れる服装に白衣を纏いながら、私に話しかける。

「目薬が欲しいんです」
そう言って、白衣を着た老婆に私はお願いをする。

「どんな症状だい?」
老婆は少し独特のイントネーショ私に話してくる。これはなぜか期待できそうだ。

「仕事のし過ぎやスマホの見過ぎで、目が疲れて肩が凝って頭痛もします」

「なるほど、それは現代病やね。それならこれになるかな?」

そう言って、老婆は棚にある黄色い液体のガラス瓶を取り出す。

「疲れ目、かすれ目に聴く。働き盛りの男性にピッタリやで」

私はあまり目薬には拘りがない。
そして、効きそうなものがあればそれでよかった。

「じゃあ、これにします」
そう言って私は、効きそうな目薬を選べた事に喜びを噛み締めようとしていた。

このお店の中を見渡すと、棚に何故か20本ぐらいのガラス瓶が並んであって、そこには透明や薄い緑、黄色、ピンク色の液体が並べてあった。
まるで信号機のようだ。

「これ、まさか全部目薬ですか?」
私が驚いた表情で聴いてみると、店主の老婆は

「そう、目薬や」
そう言つつも、老婆はあくせく動き始めている。

妙な期待を踊らせ始めたところで、老婆が私の意図しないことを伝える。

「目薬作るんで20分待ってくれるか?
雨も降ってるしそっちに座って、テレビでも見ておいて」

外は雨脚が強く、濡れるのは嫌だったので、この店で待つことにした。

そもそも20分で目薬が出来るのだろうか?
目薬って、工場で厳格管理するものなのに、こんな古びた家で婆さんが手作りで作るのか?

火傷の時にアロエを塗るようなものではないのか?と先程の期待感とは逆の不安が襲ってきた。

しばらくすると、更に不安を掻き立てるような化学薬品の匂いが漂う。

少しこの場から逃げ出したくなるが、部屋の向こうから子供の楽しむ声が聞こえるので、逃げ出さなくていいんだろう。

あの目薬はどんな効果があるのだろうか?
お酒の瓶は老婆のコレクションなのか?
婦人服のマネキンの目つきが怖いのは何故なのか?

この空間の至る所に散りばめられている疑問について、頭の中で答えを探しながら過ごしていると、老婆がこちらを向いて声をかける。

「はい、出来上がるよ」

奥をよく見てみると、作った液体を小さなロートに入れて、点眼用の容器に作った液体を流し込もうとしていた。

そして、出来上がった目薬を持ってきた。

「これ、使ってみ」

「ありがとうございます」

老婆から出来たての目薬を受け取り、点眼する。
少し生暖かい。
そして、少しだけ目の膜に染みる感じがする。

「どうや?大丈夫そうか?」

「大丈夫だと思います。ありがとうございます」

「ほんならこの目薬、使ってな」

そう言って、容器の温かい目薬を渡された。

手の込んだ目薬なので、さぞかしお値段がするのだろう。そう思いながら私は意を決して

「お会計、おいくらですか?」
と、ドキドキしながら値段を聞いた。

そしてなぜか老婆は少し考えて間を取ってから
「550円」と答えた。

「えっ?そんだけですか?」
あまりの安さに驚いた。市販の目薬よりも安いではないか。

「この値段でええよ」
そう言った老婆の目は、やはり無愛想だ。

オーダーメイドの目薬と言うオリジナル感。
何故これがヒットしないのだろうか?

それは間違いなくこの店の構えである。
入口でマネキンに威嚇され、右の実験室でも怪しさを増幅させる。
これでは完全に足は遠のく。
きっと知っている人だけに目薬を振る舞いたいお店なんだと考えた。

今までの仰々しい雰囲気は何だったのか?
あれこれ心配し過ぎた自分を落ち着かせようとした。

私は目薬を受け取ろうとして、レジ袋に入れようとすると、

「ちょっと待って」

と、老婆から止められた。

「もう少し待ってくれるか?」
そう言って、老婆はガラス瓶の棚の下にあった「さつま白波」と書いた焼酎の一升瓶を取り出す。

「ちゃんと熱湯消毒してるから、大丈夫やで」

そう言って、一升瓶を片手に再び実験室に入っていった。

やはりとんでもない店に来てしまったようだ。

実験室の奥で、老婆はその瓶の上に今度は大きなロートを載せ、作った目薬らしき液体をドボドボと入れだす。

どこぞのエンターテイメントだろうか?
目薬を一升瓶に入れるパフォーマンスである。
間違いなくバズるぞ、これは。

そんな事を考えた私は、思い出したかのようにスマートフォンを構えようとした。
その時、化学薬品の匂いが漂い始めた。

これは今撮影をするのは粋ではない事だと感じ、取り出そうとしたスマートフォンを元に戻す。

住民はこの店をどう思ってるんだろうか?
はたまた、近所迷惑ではないだろうか?
私が余計な心配をしつつ、実験室を眺めていると、老婆が出てきた。

「瓶はな、冷さんと冷暗所に置いとき。そして、酒やと思って飲んだらあかんよ」

「さつま白波」と書いてある目薬は、初めての経験である。

棚にある「大魔王」と言う名前の一升瓶でなかったことに、私は少しだけ安堵した。

一升瓶をこちらに持ってきて、これを売られるのかと言う不安がよぎり始めた時、老婆は私が耳を疑うような台詞を吐いた。

「これ、持って帰り!」

私はその言葉に驚き、思わず目を見開いた。
この一升瓶をどうしろというのだ?

「これ、目薬ですよね?」

「そう、目薬。1.8リットル」

「こんなの使い切れないですよ」

「あんた用の目薬よ。持って帰り」

そう言って、さつま白波を渡された。

思い切って断ることも出来るかも知れない。
でも、これだけ老婆が私のために作った目薬を無下に断ることは出来ない。

「点眼液がなくなったら、ロートを使って点眼用ケースに入れて使いな」

これぞぶっ飛んだサービスである。
ちなみに、おうちにロートなんてない。

「これもお支払いですよね?」

私はもう、ぼったくられるのを覚悟で聞いてみた。

「いらんいらん。足りなかったらこれ使いなさい」

そう言って、老婆はさつま白波を袋に入れる。

よく見ると、成分表がシールで貼ってある。
まさかさつま白波にシールが貼っているとは思いもしなかった。

「はい、これどうぞ」

老婆から渡された重たい袋を受け取り、私は
「大きな目薬ですね」
と言いながら、その重さに思わず苦い笑みがこぼれた。

「眼の事で困ったらまた来てよ」
老婆はそう言って私を送り出そうとする。

「はい、困ったら伺います」
そう言って、私は混沌とした目薬屋を後にした。

すっかり雨も止み、街中の滲むようなネオンライトは、少しだけくっきり見えたような気がした。

小さな目薬と大きなさつま白波は、私の眼を時に癒してくれる存在になるに違いない。

そして目薬を取り出す度に、きっとこの店のことを思い出すのだろう。

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