「どの山に登りたいか?」で全く組織は変わる。
#コンヒラ #朝礼 #登山 #機能体 #組織体 #エンゲージメント
今朝の、輪番朝礼スピーチは営業のWさんによる「山の趣味事例」で注意する行動パターンを紹介してくれました。今回のWさんの話は、とても事例として良い内容だと気づいたので、私より以下のコメントを社内に紹介しました。内容が社内向けになっているためご承知おきください。
Wさんの「趣味の事例」を聞いて、一部の方は「あれ?社長とか、他のリーダーが話す堅苦しい、苦しそうな事例と違うような・・」と感じた方もいると思います。それはおかしいことではなく、当たり前のことですが、それを理解してもらうことで、コンヒラが何をしたいのか感じてもらいたいので少し長くなりますがお付き合いください。
まず「登りたい山」は人によって違うということです。そして「登りたい山」が違えば「やることも」全く違います。例えば、「近所のハイキングできる小高い丘を、登りたい山」と考える人と、「富士山を登りたい山」と考える人、「エベレストを登りたい山」と考える人ではまったく準備も集まるメンバーも変わります。
もし「近所のハイキングできる小高い丘を登りたい山」と考える人たちが集まると、おそらく「ハイキング愛好会」という命名をして「無理せず趣味として行いましょう」と表現するはずです。それに対し「エベレストを登りたい山」とする人たちは、「登山隊」「アタック隊」というある目的遂行のために集まった組織という意味で「隊」を集団の名前としてつけると思います。
言い換えれば「愛好会」にとって重要な目的は「参加者、一人一人の気持ちよさ」です。それに対し「登山隊」にとって重要な目的は「登頂を成功させること」で、そのための専門家が集まった集団となります。登山隊の構成員一人一人の気持ちよさより、登山隊の目的遂行が優先されることになります。この考えは、私が学生時代に読んだ堺屋太一氏の「組織の盛衰」で初めてしった考えです。
昭和を代表する会社組織は「会社の登りたい山=ビジョン」が全てに優先され、構成する社員個々人の気持ちよさは相対的に低く考えられていました。特に戦争を経験した世代にとっては「軍隊」という「隊」になれていたので、余計に戦後の組織は「組織の登りたい山」が優先されていたはずです。
ところが時代が変わり、平和な時代が続き、かつ多様性、労働の対等化が進むと、「登山隊の登りたい山」と「個々人が登りたい山」にどうやって重なりを作るかという考えが生まれてきたと思います。それが「エンゲージメント」という新しい言葉であり、取り組みだと考えられます。
ではコンヒラは、この重なり(エンゲージメント)どうやって太くしたいのか?それは、まず登りたい山を明確にすることですが、具体的に言えば「利益目標」「数値目標」を中心とした「事業目標」になります。そしてこれに対し、各部門で話し合ってもらい「自部署の利益目標、数値目標、事業目標」を考えてもらうことで、会社と部門、部門と個人の重なりを太くしようという取り組みをしているのです。
その中で見えてきたのがコンヒラは「富士山を目指したい山にしよう」ということです。でも、近所の丘をハイキングして登りたい人は、きつく感じ嫌になります。するとハイキング愛好会へ転職します
でもエベレストに登りたい人も、物足りなくて、エベレストに登る登山隊へ転職します。
こうやって、富士山に登りたい人が残ったり、集まる(転職して入社してくる)ことで、コンヒラの風土ができあがってきます。
ところが、Wevoxでエンゲージメントを調べると、当社のビジョンへの共感が比較的低いので、「登りたい山はこれだ」という共有がうまくいっていないのだと考えてます。登りたい山が明確になれば、集まる人財もはっきりするし、求められる能力、はたまは、必要な給与、予算も明確になってきます。(たとえばエベレストに登るガイドのシェルパは報酬も高いが、ハイキングのガイドは相対的に低くなる)
どうも、これがうまくいってないと考え、朝礼で意思統一を試みているところですが、この「登りたい山」を浸透させる力が私の方でうまくできていないと気づいているので、次の経営者(経営層)には、このビジョン浸透の能力を高く期待している一つです。
もしこれがうまくハマれば、すでに組織としてフローや体系は整っているので、コンヒラがより高い山に登り始めることができると考えています。