文しか読めないで、文脈が読めない人多いよね

社会人になって、よくメールを打つようになった。メールだけでなく、社内SNSとかでもよく思うのだけど、文の字面だけしか読めない人が多いよね。

こちらから連絡を入れた時に、文脈を捉えきれておらず、こちらの想定していたものと全く別の返答が来るときが多い。それに対して、本意はこうでしたよと伝えるという再度の手間がある。それが電話だったりするのだが、ちゃんと読めばそんな返答しなくないかと思ってしまう…

そもそもメールや社内SNSに限らず、ある小説や政治のマニュフェスト、果ては思想書までも、文が書いてあるものは、情報は本文だけに限らない。むしろ、本文の外の情報が分からないと、本文の内容が分からないものもあるだろう。

政治家だって、ただ他政党を批判しているだけではなく、他政党のだらしないところがあって批判しているわけだし、哲学者だって、思想の流れがあって、流れに乗るか乗らないかで思想を展開していたりするわけである。

例がやや大げさだけど、メールだって、送る側の背景があるだろう。メールを送ってくる時間、件名、宛先、本文の言葉づかい、署名などなど、相手方の状況や考えを推し量るための材料はたくさんある。

むしろそれらは気にならないのであろうか…?
社会人2年目の若輩者が気にしすぎなのだろうか?
そういうところに鈍感になるというのが社会人になるということなのか?

単に自分が相手のことを思いやるということをしていないだけなのではないか?

しかもよりたちが悪いのは、そういう人が文脈を読ませようとする表現を使ってくるのである。
「確認お願いします」は、こっちの承認が欲しいのか、ただの情報共有なのか、具体的な作業のお願いなのか、分からない。
「相談させてください」のメールには、返信して時間まで設定してほしいのか、そういう相談ではなく要望なのか、分からない。
おそらくフレーズが定型化しており、ニュアンスを考えずに使っているのであろう。自分は思いやらず、文脈を読む気ないくせに。

さらにたちが悪いのは、じゃあといって一つ一つちゃんと説明しようと記載すると、長い文章が読めずに曲解される。
もうどうしたらいいか分からん。

こういった文脈を読めない人って、それでうまくやってこれたんだね。確かに僕の伝え方が悪いこともあるだろうけど、社会人が洗練されていくと、伝え方が悪かったことに対しての反省の視点とかも持たないで、ぬくぬくと続けていくのだろうか…

多分僕が哲学を勉強してたこともあり、文脈に人一倍敏感なのはあるけど、仕事をしていてはじめて生きづらさを感じていることです。