横須賀にある、音盤ブラック・ホールのような魔境的レコード屋「WHO」で、溝の奥に宇宙を見た。
高井康生氏のインスタグラム(https://www.instagram.com/p/C_xYLgwyt1X/?igsh=MWlxamVkZWs4eXR0Zg== )で見て、気になっていた横須賀のレコード屋「WHO」に、友達とドライブがてら行ってきた。
結論から言えば、一生忘れないであろう、強烈なインパクトのある店であった。
YouTubeで音楽を聴けるようになる前、ユニオンが視聴出来なかった時代、
学生でお金もないので、まだ見ぬ音楽を聴くためには足で稼ぐしかなかった。
安価に、未知のレコードをゲットするために、リサイクル・ショップやフリー・マーケットにも沢山通い、リサイクル・ショップなどは、ゴミ溜めのようなところも沢山あったが、狭い店内の床から天井まで、ありとあらゆる空間全てに、許容量の数倍と思われるレコードが置いてあるこの店は、(事前情報があっても、それでもなお)経験上1番インパクトがあるレコード販売店だったかも知れない。
入店すると、まず圧倒的な物量に気圧され、方向感覚を失う、どの部分をどう見れば良いのか頭がバグるような感覚になる。
ここで一度、「お前はやれるのか? 進むのか? 本当にレコードが好きなのか? 買いたいのか?」と試されているような、強烈で圧倒的な孤高の佇まいと対峙する。
大きく分けて、3本? 4本? ある、レコード棚を両脇にした通路のうち、3つ? 2つ? が、床に置いたレコード、その他荷物により侵入不能になっていた(通れる部分もかなり狭く、恰幅が良い人は通れないかもしれない)。
また所狭しとレコードが積み重なっていることにより、6割? 7割? くらいのレコードが事実上見ることができなくなっている。
レコードが有り過ぎることによって、多くのレコードが無いに近しい状態になっており、まるで、何か欲望にまつわる寓話のようだ。
プチ・レコード・ブームを尻目に、「おしゃれ」や「レコードは豊か」や「音が違う」など、そういう次元ではなく、20世紀複製芸術が作り上げた、壮大で把握不可能、有無を言わせぬグルーヴでねじ伏せる、制御不能な音盤ブラック・ホールのような魔境的レコード屋という印象だ。
レコードを買う、買いに行く、レコードを探す、という行為は、音楽を聴くという行為とはまた別の醍醐味があり、体に刻み込まれる「体験」だということを痛感させられる。
「万引きするな」的な張り紙があり、もちろん万引きはもってのほかだが、物量があり過ぎることにより、店主の位置から、店内の95%? ぼぼ100%近くが死角になり見えない状態になっているように感じた。
会計時、試聴時(試聴可能)も、物の間をかき分け、店主になんとかレコードを手渡すような状況で、今思えば、レコード、CDの山の向こうに佇む店主(高齢男性)の顔も、物に阻まれあまり把握することが出来なかった。
また、不思議だったのは、(たまたまだったのかもしれないが)レコード屋なのに、無音の時間が多く、たまに音楽をかけても何か判別できないほどの微音、また同じ部分を何度も聴いていた(針飛びの確認かとも思ったが、針が飛んでいる形跡もなく、なんだったのかよく分からない)。
各々のLPレコードは値付けされているが、LP全品半額、EPは全品500円(一部値段がついているものもあるよう。私はEPを見るのは諦めた) というザックリとしたシステム。
とりあえず何とか、ここに置いているレコードは見ることができそうだというゾーン(棚に入っておらず、縦積みで150〜200枚くらい? ×3列)を、倉庫作業のように、ズラしながら少しずつ見た。
半額になっていることもあり、相場より安いレコードも結構ありそうだった(とはいえ、全部がめちゃくちゃに安いというわけではない)。
触れることが出来ないゾーンのレコードも多いため、全貌は把握出来ないが、店名や店内に貼ってある切り抜きから推測するに、メインはオールド・ロック(? ただしそのゾーンは足を踏み入れることが出来なくなっている)、歌謡曲や日本のポップスのレコードも多く、店主も近年は日本のレコードが良く売れると言っていた。
90年代クラブ・ミュージック以降のレコードはあまり見当たらず、クラシックもあまりなさそうだった(到達不可能な場所にある可能性もあり)。
「とにかく汚い」との情報があったので、手袋、マスク持参で挑んだものの、1時間くらい見ていると「これ以上ここに居ると体調を崩す」気配を感じ、(なんとか見れそうだったゾーンがたまたまジャズだったので)ジャズのレコードを数枚購入し帰路へ。
しかし、(関係あるのかないのか分からないが)翌日体調を崩した。
後日、買ったレコードに針を落とすと、あの埃まみれの店内に並べられていたにもかかわらず、塵1つなく、レコードはピカピカに磨かれており、魔法のように感じた。
音楽を聴くとは何なんだろう、レコードって何なんだろう、物質を所有するとは何なんだろう、という大きな余韻が残る、ある種哲学的なレコード屋であった。
「行きはよいよい 帰りはこわい」
レコード道は、果てしなく続く。