クリエイティブは、反復と飽きから生まれる
反復、飽き。
クリエイティブという概念からは一見、遠く感じられる言葉だけれど、クリエイティブというものは結構そこから生まれるのではないかなと思う。
2ちゃんねる用語
僕が一番それを強く感じているのは、チャットだ。
繰り返し繰り返し会話を行ううち、段々と長いフレーズを打つのが面倒になってくるし、同じフレーズを繰り返すことに飽きを感じるようになる。
今、僕と友人の間では仕事終わりに、「退勤の舞🕺」と言うのが流行ってるんだけど、最近「タイ米🕺」になり、最近は「タイ米🌾」になった。
これと同じようなことが過去の2ちゃんねる (今の5ちゃんねる) で発生して、凄まじい数の用語が生まれたし、最近も初音ミクの「Shake It!」という曲名が、「鮭」と一文字で表現されてるのを観測している。
これって別に大変なことをしてるわけじゃないけれど、よく考えたら結構クリエイティブなんじゃね?と思う。気がつけば異質な文化圏が形成されている。
料理の工夫
料理の工夫は、まさに反復と飽きから生まれるものだろうと思う。
最初は、ちゃんと作ることで精一杯だ。でもそのうち余裕が出てくると、少し味を変えてみたり、盛り付けを凝ってみたりする。
きっかけは、味に飽きたとか、料理の工程自体に飽きて、余裕が出てきたとかだ。
全くの素人がレシピを見ずに創作料理を作ったらどうなるか。凄まじくクリエイティブなものができそうではあるけれど、それに価値を感じる人は少ないだろう。
作り手も受け取り手も人だから
なぜ、一見クリエイティブとは程遠いような、反復とか、飽きから生じるちょっとしたアレンジのようなものが、クリエイティブであると感じられるのか。
それは、受け取り手が人であるからだと思う。
無から有を生み出すようなプロセスによって生成されたものは、受け取り手がクリエイティブであると認識することが難しいのだろうと思う。
話が分散してしまうので今回は省いたんだけれど、「模倣」というプロセスも、クリエイティブを生むものと感じている。おそらく、反復のきっかけやお手本になるような形で。
というわけで、そろそろブログを書くのも飽きたので筆を置こうと思う。
この飽きは、たぶんクリエイティブを生まない。
→「クリエイティブ 飽き」で検索したら出てきた先人
→添削によって削除された文章