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はじめに ~哲学的思考から考える保育とは~

保育とは何か

保育の業界に携わって、早5年目になります。
それまでは、保育は全く関係のない業界で働いていたため、初めて保育の現場に入ったときは多くのカルチャーショックがありました。そんな私でも約4年間、園長を務めさせていただきました。
その間にだいぶそのショックは薄らいできましたが、ただいまだによくわからないことがあります。

それは「保育とは何か」「よい保育とはどういう保育か」「そしてその保育はどうしたら実現できるか」ということ。

そんなのもわからずに園長をしていたのか!と現場の職員からは怒られてしまいそうですが、実際に保育には正解がないといわれる分、いまだにこれらの問いに関しては、自ら明確な答えを持てていません。

もちろん、保育所保育指針には「保育所の保育は、子どもが現在を最も良く生き、望ましい未来をつくり出す力の基礎を培う」ことと書かれています。しかし、じゃあ実際にどんな保育をしたらその基礎を培うことができるのか、というのは、これまでに見学に行かせていただいた園を見てても、多くのアプローチややり方(という表現は適していないかもしれませんが)が存在していて、どれが自園に適しているのか混乱するばかり。もちろん、どの園も素敵な園ばかりで、なんとなく感覚的にはどれもいい保育だ!と感じるのですが、どうしてそれがいい保育といえるのか判断基準となる保育の原理を理解していない自分がいました。

ちょうどそういったときに、苫野一徳さんの名著『はじめての哲学的思考』と出会い、その問いを深めるヒントを得ることができました。さらに同じく名著である『どのような教育が「よい」教育か』を読み、まさにこの本のタイトルである問いは保育においても同じことがいえるのでは、と確信に近いものを得ることができたような気がしています。

保育は前述の保育所保育指針において、冒頭に「養護及び教育を一体的に行うこと」と定義されています。そのため、単純に教育の課題をそのまま保育に当てはめることはいささか乱暴といえるでしょう。そういった意味では、保育は保育でも問いを立て、それについての命題を立てていく必要があるのではないかと考えています。

とはいえ、私は哲学者ではないため、一からその原理を紐解いていくことは到底できません。そのため、今ある原理を応用して保育に当てはめていけたらと考えています。

やはり、保育と近しい存在という意味では、「教育」の原理は非常に親和性が高いと思われます。
このnoteでは、保育とは何か・教育との関係性をどうみていくかなどを、自分なりにまとめたものを書いていきたいと思います。


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