見出し画像

【駄文】日々是好日

 何を書くより最初に宣伝です。本日のサムネ画像は、この物語の一場面を切り取ったものをイメージしています。

日が長い夏には、隠津島神社の遥拝殿から更に上にある本殿まで登ることもあり、途中にある展望台から見える遙か遠い稜線を前に
「あの山の向こうには何があるの」
「山の向こうも山さ、その向こうにも山、やがて海に出る。海の向こうには別な国がある。そこには山だけじゃない、大きな草木のジャングルや、見渡す限り砂ばかりの砂漠、氷の大地など、様々な土地がある。父さんは行ったことが無いけどな」

福島太郎著:光流るる阿武隈川より

 この前の作品が「夢見る木幡山」というものでして、二つの作品は
「山⇔川」、主人公が「男性⇔女性」、舞台が「木幡山のみ⇔木幡から世界へ」、「リアル⇔フィクション」など、意図的に対比させています。
 それでいて、共通している「木幡(東和)・隠津島神社・宗像三女神」などがありまして、次の引用の部分は意図的に2作品に重複する表現を使っています。

 人と、美しい緑と清らかな水、巨石と巨木が、神様とともに在る不思議な場所、木幡。
悠久の彼方から、季節や時代の移ろいとともにその姿を変えながらも、木幡山は在り続け、阿武隈川は優しく、時に激しく流れ続ける。
人は、山の恵みを授かり、川の光を浴びながら、子を育み、営みを興し、大地に還る。次代に志と文化を伝えながら。
 木幡山は永遠の夢を見る。阿武隈川は永遠に輝き続ける。

福島太郎著:光流るる阿武隈川より

 最近の投稿では、最新作である「会津ワイン黎明綺譚」ではなく「光流るる阿武隈川」を推しています。なんとなく「光流」の表紙が、この猛暑におきまして、爽やかさを運んでくれるような印象を持つためかもしれません。
 決して夏の物語ではないのですが、ちょっと不思議です。

 しかし、「光流」の表紙写真、実は本年1月16日という、真冬に撮影したものになります。イメージとしては、「朝陽に染まる阿武隈川」(阿武隈漕艇場)を撮影したく、先ずは15日の、夜明け前、真っ暗な時間に川辺に行きました。
 しかし、山間を流れる川は、朝日を浴びることなく穏やかな淡い橙色しか魅せてはくれなかったのです。15日はその後、川を下るようにしながら、作品に挿入している写真を撮るために宮城県まで車を走らせました。

 しかし、それで諦めるのもいかがなものか、と、翌16日も朝から阿武隈漕艇場の川辺で待機しつつ、隠津島神社を参拝したりしながら、表紙の「川に光が流れる写真」を撮影することに挑戦していました。
 車と川岸を行ったりきたりと怪しい動きでしたが、幸い真冬に阿武隈漕艇場に来るような物好き(変態)は、私以外にはなく、邪魔が入ることなく無事に撮影したことになります。

 ということで、「光流」に使用している写真は、表紙が1月16日、作中挿入写真は1月15日に撮影したというお話でした。
 表紙の文字デザインや加工は、友人である「シロクマさん」にお願いしたものになります。キラキラ感をマシマシにしていただきました。

 私の心とか時間に余裕があれば、文章だけではなく、挿入写真なども、その時期や場面などを吟味したり精査したりして本に纏めたいという思いもあるのですが、毎回、原稿が完成すると
「人生は、いつ何があるかわからないのだから、作品を出せる時に出しておきたい」
という気持ちに負けてしまい、言い方は悪いですが「写真はやっつけ仕事」になってしまっています。

 次回作は文章も写真も、もっと丁寧に時間と手間をかけて仕上げていきたいと考えています。

 一方で、そんな「やっつけ感」も「ある意味自分らしい作品」と、自分を甘やかすような感情も払拭できずにいます。
 そんな訳で、徹頭徹尾「光流るる阿武隈川」の宣伝投稿でした。
 お付き合いいただきありがとうございました。
 なお、兄弟作品の「夢見る木幡山」

 最新作「会津ワイン黎明綺譚」

 も、この週末にいかがでしょうか。どの作品も「不思議な太郎ワールド」へと誘う物語です。心に爽やかな風が吹くかもしれません。

 なお、秋から冬にかけては、こちらの「恋する旅人」を推す予定になっております。

 


いいなと思ったら応援しよう!

福島太郎
サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。