ほんとは怖い 鶴の恩返し
創作物語ではなく、大人目線で民話「鶴の恩返し」を考えてみた。という駄文です。怖いというかビターな話なのでお勧めできないのですが、「怖いの上等」とか「ほんとは怖い〇〇童話」シリーズのような考察が好きな方はお進みください。
よろしいでしょうか。
「鶴の恩返し」は「傷ついた鶴を助ける」ところから始まり、最後に「空に飛び立つ」という設定で考えます。
止めるなら今です。
私が疑問に思い「嫌な考察」に至ったのは「誰が鶴を傷つけたのか」という点になります。「猟師」か「獣」か「他の村人」とか考えてみましたが、「誰かが傷をつけて放置するというのは納得がいかない」となりまして、私なりに合点がいく想定が
「鶴は自分で自分を傷つけて森で癒していた」
ということになりました。
鶴が自分の羽で織物を織るということにより、自分を傷つけることになる。なのであまり作ることができないのに、男に請われるまま織物を作り、傷つき、傷ついた姿(鶴の正体)を見られたことで一緒に暮らせなくなり、傷ついた体のまま「空に飛び立つ」ということなのです。
しかし、傷のため長く飛び続けることができず、森に堕ち傷を癒しているところを「別な村人に助けられる」、同じことを繰り返してしまうというネバーエンディングストーリーという「怖い話」と考えてしまいました。
美しい民話が突然、嫌な後味の悪い物語、けれど何となく納得してしまう終わり方にも感じてしまいます。しかも、しかもですねぇ。
「自分の羽で織物を作る」
ということが自傷行為というだけではなく
「体を売りお金を稼ぐ」
ということの暗喩と考えると、さらに業が深くなるのです。
村人の危機を救うために不本意ながら体を売りお金を稼いだ。男は図に乗り繰り返しお金を求め、鶴は傷つきながらも身を売りお金を稼ぎ村人に捧げた。ところが村人は感謝するどころか「どのようにしてお金を稼いでいるのか」を暴き、鶴を批判して一緒に暮らす生活を壊した。
この話が怖いのは、ネバーエンディングストーリーであることと、そして誰にでも当てはまることにあると考えています。
恋人に尽くしたあげく捨てられる恋の話はもとより、会社のために自分や家族を犠牲にして、要求されるまま尽くしても、いざ体を壊したりした時は、要求した方は庇い守り面倒を見てくれるどころか、最後は批判否定し、何もしてくれることなく、会社を出され家族とも別れることもありえる勤め人の話にもオーバーラップすると思うのです。
もしかしたら「鶴の恩返し」というのは、封建社会のご恩と奉公を成り立たせるために都合が良い「造られた美談」なのかもしれないと考えてしまいます。
もう、鶴の恩返しは止めにしませんか。自分や家族を犠牲にしてまで「何か」に尽くすのはではなく、自分とその家族の生活を大事にする。
そんな生き方を模索する時代になっているのかも知れません。
(本文ここまで)
20年前の「ウェブ記事」のリライトです。こんなことを書いておきながら、仕事に励み体を壊し閑職で生きている男がいるというのも「怖い話」かもしれません。
一方で20年前は「こんな業の深い生き方はやめませんか」と考えていた人間は現在では
「価値観は人それぞれだから、それも有りっちゃぁ有りでしょ。これでいいのだ」
という風に変節しているようです。
交流させていただいている「ながいコーチさん」の、この記事から引用させていただきます。
なので、傍から見たら「怖い話」に見えるかもしれないけれど、
「みんな幸せだと感じていれば、それでいいのだ。みんな自分の価値観で幸せになればいいのだ」
と思う朝でした。
#何を書いても最後は宣伝
とある仕事に巻き込まれ、職場内の出世とか評価を全て失う覚悟で、自分を傷つけるような馬鹿な行動に出た役人の話がこちらです。
けどこの主人公は、今もそれなりに幸せに暮らしていると信じています。