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【創作】題名のない物語WSS 第9話

第9話 突
 いつもどおり、誰よりも早く職場に着く。いつもどおり、自分の課の机を拭く前に、ブラックサンダーとメモを入れた小袋を木元の机に置いておく。メモには昨夜のお礼とlineIDを記載していた。木元といるとペースが狂うので、少し、lineで情報収集することにした。
 男性というよりも、変な生き物に対する「学術的興味」なんだろうと思う。昔学んだ児童心理で例題に出された「子どもに対する接し方」を思い出す。子どものペースを大事にすること。そんなことを考えながら、木元からのlineを待つが、当日、翌日とも木元からのlineは入らない。
「何様のつもり」
 木元が給湯室に向かったことを確認し、追いかける。インスタントコーヒーにお湯を入れる背中が楽しそうで、少しイラッとする。振り返った木元は何も言わず、軽く会釈して横を通り抜けようとする。体を少し寄せ、壁に手を当てて遮る(お、これが壁ドンですか)。
「メモは見てくれました」
木元の目が上空を泳ぐ。
「もちろん見ました。お菓子、ありがとうございました」
「じゃぁ、どうして連絡してくれないのですか」
「lineアプリを入れてないのです」
はぁ、lineアプリを入れてない?けれど、嘘は言っていないように見える。
「携帯番号の方がよかったですか」
「いや、後でアプリを入れて、lineします」
壁から手を下ろし、体を横にずらす。木元は脱兎のごとく自席へと向かう。
 lineが来てもスルーしようかしら。そんなことを考えながら、紅茶を手にする。何か容れていかないと、突然席を立った変な子になってしまう。優しくて少し甘い香りが広がる。
 『少し変な子だけど、悪い子じゃないのよ』。以前、実習に行った施設の先生の言葉を思いだした。そうか、あの施設でも同じ紅茶を使っていたはず。給湯室に来る度に感じていたデジャブの正体を知ることができて安堵する。
 園の隅っこで、一人でボゥっとしていることが多かった、集団行動が苦手で、皆からおいていかれることが多かったあの子は、今はどうしているのだろう。多分、今もみんなには馴染めず、一人でいるのかもしれない。今ならあの子に伝えることができるのに。
「焦らなくて大丈夫。色々な人がいて会社も社会も動いているから、君は君のままで良いんだよ」
 あの子が成長したかどうかはわからないけれど、自分は成長しているのだろうか。カップを両手で包み込むように持ちながら、自席に戻った。


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福島太郎@kindle作家
サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。