地獄極楽は心にあり #シロクマ文芸部
振り返る「生老病死と笑朗幸喜」という言葉を。
ということで、あらためてこの言葉を考えますと、昨年「ながいコーチさん」に助言していただいた
【まずは、「今日をご機嫌に!」でエエんとちゃいます~?】
のとおりでして、昔から言われている
【地獄極楽は心にあり】
になるんだなぁと実感しています。
「生老病死」というのは事象です。
「良いも悪いも善も悪もなく、苦しみも喜びもなく、ただ、事実としてそこに在る」
ということになると考えています。
事実を前にして、感情(心の動き)が生まれることで、「生老病死を苦と感じる」のかもしれません。
感情を決めるのは自分の心です。ならば、事象は事象として受け入れた上で、苦ではないようにできないか。
自分の機嫌は自分でとろう、嫌な感情を切り離して、好きなこと楽しいことを考えようと、取り組んでいます。
それが「笑朗幸喜」ということになります。言葉遊びの関係で「楽」が入れられず残念です。
悲しもうが落ち込もうが、事実が変わらないのなら、マイナスの感情を抱くだけもったいない気がします。
また、「幸と辛」の言葉遊びで
「一足りないから辛い。一を加えたら幸せ」
というものがありますが、この「足りる」を決めるのも「心」ではないかと考えています。
生老病死を苦と考えてしまうのは「過去」や「他人」、「理想」などと比べて「足りない」と考えてしまうからではないかと。
比べることを止めて
「在るがものを在るがままに受け入れる」
ことが、穏やかな心に近づくことになると考えています。
つまり、日本が生んだ偉大な哲学者の言葉である
【これでいいのだ】
を目指したいのです。
なので、比較に繋がりがちな「数」とか、変えることができない過去には拘らないようにして
【過去に感謝し今を受け入れ未来を夢見て生きていきたい】
と思うのです。
なかなか簡単では無いので、毎日の修行のようにnoteのタグで呟き続け、「これでいいのだ」を受け入れるようにしています。そして
#何を書いても最後は宣伝
「好きなことを 好きな時に 好きなように書く」も、このような考え方がベースにあり、一つの形となりましたのが、こちらの「ショートショートパラダイス」になります。
今回のような「真面目な話」も、ショーパラに多くある「くだらない話」も、私は好きなのです。