
【駄文】会社の常識は社会の非常識 #公タマ伝
他者の言葉をお借りするのは恥ずかしいのですが、アインシュタイン博士によれば
【常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う】
らしいです。
ところが私の印象では、18歳どころか大学を卒業して20代で就職した後、どころか、30代40代50代、いくつになっても
『偏見のコレクション=会社の常識』
から逃れられない方もいるように感じています。
偏見とか常識という言葉を超えた「呪い」のようにも感じています。
なので「解呪師として生きていきたい」と考えています。
本稿のタイトルは「会社」と対比させるために「社会」としましたが、本音としては
「役所の常識は社会の非常識」
と叫びたい気分です。
普段、仕事をしている時に
「守秘義務がありますので答えられません」
「個人情報にあたりますので言えません」
ということを、当たり前のように語る方がいます。
また、私の著作やnoteの記事を読んだ同僚から
「あれは守秘義務違反では」
「信用失墜行為では」
「営利行為をしては駄目でしょう」
という問いかけをしてくる方もいます。
それは彼らの「常識」なので、基本的に反論しません。
「懲戒処分される覚悟はしています」
とだけお応えしています。
本音を言えば
「守秘義務にも個人情報漏洩にも信用失墜行為にも営利企業等従事違反にも該当しません」
と言いたいのですが、無益な争いは避けたいので議論しません。
『お前らの偏見じゃなく、ちゃんと法令等を読み込んでいるんですか』
とは問い質しませんし、
「あなたは、他者に言えないような仕事をしているのですか」
とも質しません。
私の著作には「公務員として働いた経験」が反映されています。
「あんなこと、こんなこと、いっぱいあるけど。みんなみんなのために働いてきた、自分の意志でやり遂げてきた」
という気持ちで動いた経験です。
「役所としては行動しないのが常識だけど、自分は、役人の前例踏襲ではなく、人間として未来のために駆けていきたい≒非常識だだけどね」
という気持ちで生きていました。
kindle出版もnoteの投稿も「役所の常識」としては論外です。続ければ続けるほど「役人としての評価」は下がります。
それでも
「僕は他人に言えないような仕事はしていない」
とも考えています。というか、
「子どもたちに、父としての気持ち、行動を伝えたい。
役人としては出世もせず、功績もない。組織人としては非常識で下手くそだけど、人間として恥ずかしくない人生を選択してきた」
という志を遺したいと考えています。
先月下旬、あらためて、踏み絵を置かれました。
「お前は、どうする」
役人として生きるか、人間として生きるのか。
ハムレットみたいな心境に追い詰められました。迷い、悩み、調子を崩しました。
そして、今日もnote街に居ます。
『会社の常識は社会の非常識』
を受け入れて、
『これでいいのだ』
を自分の常識として、生きていきます。
#何を書いても最後は宣伝
常識外れの公務員のオッサンが主役の物語がことらです。
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