【駄文】どんなかんじですか?
何度かお越しいただいている方は御承知のとおり、「駄洒落好き」なオッサンです。本人は「言葉遊び」と捉えていますが、一般的にはどう見ても駄洒落です。ということで、勘の良い方も悪い方もお気づきのとおり、タイトルは「感じ」と「漢字」を掛けています。流石に「幹事」や「莞爾」は捻り過ぎて使えませんでした。
「駄洒落」だけではなく、「漢字」で遊ぶのも好きなので、チョコチョコ原稿に入れています。今回は思い出せる限り書いてしまおうというお話です。
私のオリジナルだけではなく、どこかで聞いた話も使っています。
「親という字は、木の傍に立って見るということですから、見守る愛です」
「恋にあるのは下心、愛は真ん中に心があるので真心です」
「一度、止まると書いて正しいですから、今回は止まるのも良しです」
「一つ足りないと思うから辛いのですよね、一つあると思えば幸せです」
「壽には、エロがあるのですから、いくつになってもそういう気持ちは有です。ただ、寸もありますので、ちょっとにしてください(今回、初登場)」
「キクチのチですか、清らかな池ではなく、泥くさい土の地です(全国の菊地さんごめんなさい」
「天という字は、二と人です。一人では天を目指せません。少なくとも、もう一人の仲間が必要です」
「太郎という名は太郎(ふとろう)ですから、痩せる筈が無いのです」
「想うということは、相手の心を考えることですから、相手への思いやりを持つことです」
「今の心と書いて、念です。今の心を大事にしてください。一念は天に通じます」
「人を良くすると書いて食です。人を良くするために食は大事です」
すいません、あまり出ませんでした。心ネタが多いですね。
さて、本日一本目の記事が上記のものになります。
企画参加とはいえ、字数制限があるとはいえ、思いっきり真面目に書いてしまいました。絶賛後悔中です。
駄文屋として、情けないというか、悔しいというか、残念な気持ちでしたので、本稿では、思いっきり遊んでみたかったのです。
で、太郎の「遊び」と言えば「言葉遊び」になりますので、今回は漢字で遊んでみました。その背景には、こんな暗いものがあります。
けど、まぁトータルで見れば、今の自分が嫌いじゃないので「有りだろ有り」とも考えています。しかし、
「周囲の言葉に乗せられ」、調子に乗って
「女を兼ねると書いて、嫌いなのです」
なんて語ったりしたら、非難されそうですね。慎重に扱うべきネタかもしれません。
さて、#何を書いても最後は宣伝
あーーのさんが、昨日呟いてくださったこの記事
是非、写真を拡大してください。画面には「恋する旅人」、「光流るる阿武隈川」、「会津ワイン黎明綺譚」が映っています。また、コメントでは既に読んでいただいたとの話もありました。
あーーのさん、あらためて御礼申し上げます。
著者的には、表紙の写真も爽やかな「光流るる阿武隈川」か最新作の「会津ワイン」を推したいところです。決して圧してるわけではないです。
あーーのさんの写真の下段、左から3番目がこちらです。
下段右から3番目がこちらです。
ちなみに、「光流るる阿武隈川」の表紙写真、夏に相応しい爽やかな感じですが、撮影したのは、何と極寒の本ねん1月16日のことでした。もし詳細を知りたい方は、こちらの記事などいかがでしょう。