【創作】題名のない物語WSS 第8話
第8話 歌
食事を終えた時間が比較的早かったので、酔った勢いもあり、木元にカラオケをオーダーしたところ、カラオケボックスではなく、スナックに案内された。ここも行きつけのようで、黙って木元の前にウイスキーのボトルと水が置かれる。西野はビールを頼む。
あらためてビールを口の中に流し入れ、1曲歌い終えてカウンターに戻る。
「いかがでした」
「語彙力が少なくて申し訳ない。素敵だったという言葉しか出ないです」
「良かった、安心した」
あまり気がきかない木元から「素敵」という言葉を引き出したので良しとしよう。さて、この後、連絡先を聞かれたら、どういう風に断ろうか。そんなことを考えながら、話をする。木元は歌うつもりはないようで、話の合間にチビチビと杯を舐める。
水割りを作ってあげようとしたところ「自分でやります」と断られる。ほんと「変な人」。まぁ、作ろうとしないで、女性に「気が利かない」とか言う人よりは良いと思いますよ。
人間関係のこと、最近のドラマのこと、最近読んだ本のこと。他愛も無い会話が続く。コミュ障というわけではなく、普通に会話はできる人らしい。人を不快にさせるような話題もすることがない、また少し木元を見直した。
「今日は、素敵な歌が聴けて良かったです。ありがとうございました」
木元の目が「店を出ましょう」と伝えてきて、席を立つ。
「お会計は」
「済ませてあります。歌のお礼に、ここは出させてください」
伊達に営業をしているわけではないらしい。木元の自然な対応に、素直に奢られることにした。なら、御褒美に連絡先ぐらい交換しても良いことにしましょう。後日あらためて、塚原課長との関係も聞きたい。
木元が「連絡先」とか「次回」とか切り出してくるのを待っていたが、何も言われないまま無言で駅に向かって歩く。それはそれで構いませんよ。
「今日は御馳走様でした、また、会社で」
木元は無言のまま、笑顔で右手を軽く上げて、別れの挨拶とする。
帰宅して父が家にいたら聞いてみよう、若い女性と食事・カラオケをしながらも、何のアプローチもしてこない男というのは、アブノーマルな嗜好の持ち主と考えた方が良いのだろうか。それとも、私が男性を惹き付けるような魅力に欠けるのだろうか。歌は上手いと認めてくれたし、容姿も変じゃないし、会話もそれなりにしていた。うん、私に魅力が無いわけじゃなく、木元さんが変なのだろう。そんなことを考えているうちに電車は国分寺駅に着いた。