【駄文】もしかしたら日本初かも?(その2)
スウィングマンさん、そして、次の企画を応援していただいている皆様への、私のささやかな「気づき」の話を振ります。
『15人もの方が、あとがきを記した本って、日本初じゃないでしょうか?』
というお話です。しかも、全員、無償作業ですよ。エビデンスはありませんが、今までにない、史上初のことに挑戦していることになるのかもしれません。
無名の著者である「福島太郎」を応援するスウィングマンさん、不思議な存在ではありますが、存在意義が
『ピンチを救うために生まれてきたヒーロー になりたい』
ということなので、「損を承知で、前に進もうとした太郎」を救おうというのは、「アリ」なのかも知れません。
しかし、スウィングマンさんが仕掛けた「企画」に、あっという間に15人ものクリエイターさんが駆けつけてくれる。
その上、イベント・企画会社であるはずの株式会社スウィングマンが、「黒田製作所物語」を発刊するために、「出版者登録」をしてしまうということをお聞きしますと。
「なんちゅうことを、なんちゅうことをしてくれんのやー」
と、驚くしかないです。企画をしていただいたスウィングマンさん、企画に参加していただいたり、サポートやスキをしていただいたnote界のクリエイターの皆様に、あらためて感謝を申し上げます。
いまさら確認するのも何ですが、リアルな世界では、私と株式会社スウィングマンさんには、何の接点もなく、利害関係者ではありません。今回の企画について、言い方を変えれば、
「見ず知らずのオッサンのために、ヒーローが現れ、そのヒーローの志に賛同した方々が、さらに応援に駆けつけた」
ということです。
note界で展開された、スウィングマンさんの「10万PVへの挑戦」を客席から応援していたら、いつの間にか、自分が夢舞台に上げられてしまいました。いつの間にか応援されていました。「10万PVへの挑戦」がハッピーエンドで終わり、エピローグで「かこ先生」の活躍があり、「凄い良かった」と満足感と多幸感を抱いていたら、今度は自分がスピンオフでのプレゼントを受けてしまいました。驚くばかりです。
そして、もう一つ驚くのが、スピード感です。
「黒田製作所物語」を紡ぐにあたり、令和3年1月25日に、モデルとなる企業さんを訪問させていただき、「現社長と後継者」さんのお時間をいただきました。
「完成するかもわからない、完成しても売れない小説のために、申し訳ありません」
と、心の中で謝罪していました。その時点では「紙の本」を発刊する予定はありませんでした。それどころか、小説が完成しても、モデルとなる企業さんから、同意をいただけなければ、小説を廃棄する可能性もありました。
しかしながら、約1ケ月をかけて2月末日に完成した小説を、自分が気にいってしまい、コスト度外視で、お世話になった方々に「紙本」を贈るため、「紙本」を発刊しようと決めたのが、3月5日のことでした。
この時点では「企業さんから書籍化の同意は得られていない」状況でしたが、没にする前に「誰かに読んでいただきたい」と考え、スウィングマンさんを始めとした数人の方に、原稿を送りつけたりしていました。
この投稿の翌日である3月6日に、企業様から書籍発刊の同意を得ることができ、スウィングマンさんからは「うちが紙本を手作りで制作しましょうか」とのお話をいただき、「あとがき募集企画」のスタートです。
とんでもないスピード感です。ありえないような展開です。
最後に念押しなりますが、
『15人もの方が、あとがきを記した本って、日本初じゃないですか』
『溶接道という言葉を記した小説って、日本初じゃないですか』
『素人の本のために、出版社登録する会社って、日本初じゃないですか』
書籍が完成するまでの間、是非、この不思議な気づきと、今後の展開を楽しんでいただけたらと存じます。
最後にnoteを運営するスタッフの皆様への感謝を申し上げ、本稿を閉じさせていただきます。お読みいただき、ありがとうございました。