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【駄文】知命で生まれた福島太郎

 あおはるおじさんの記事で論語における「知命」という言葉を知りました。

不惑を10年以上過ぎても、未だに戸惑いの日々ですので、「知命」なんていうのは、さらに遠いのですが、福島太郎としてnote界に参加し、「公タマ伝」から始める電子書籍の発刊を始めたのが、満50歳のことでしたので、
「福島太郎として生きることは、知命ということか」
などと、少し気分を高揚させたのですが、あれ、活動を開始したのは満50歳だけど、福島太郎が誕生したのは、2019年11月という設定だから、満49歳ということになるんじゃない。
 と、一人でノリツッコミをしてしまいました。
「知命じゃないのか」
と思いつつ、諦めの悪い私は、さらに考えを深め
「数え歳50歳で誕生し、満50歳で活動したのだから知命なのです」
という理論を構築しました。
なので、1冊刊行する度に
「俺は、この本を書くために、生かされてきたのかも知れない」
と感じるのは、決して勘違いでは無いということにしてください。

 私小説ではないものの、基本的には「体験ベース」を膨らませたり、萎ませたり、嘘で繋いだりして創作していますので、「自分にしか書けない物語」という捉え方をしてきました。最新作の「黒田製作所物語」を除けばです。この最新作については、

 この記事で取り上げさせていただいた企業様にインスパイアを受け、取材をさせていただいてから創作しました。私の「体験」は原則的に「0」ということになります。ただ、この企業様に、福島太郎の「知識と経験」を掛け合わせて創作しましたので、今回も「自分にしかかけない」「この作品を創作するために生かされてきた」という感慨を抱いてしまいました。

 自分が生きていく上で「4段階の思考法」というものを模索しています。
 気づき 学び 深め 活かす
という4段階になります。おそらくですが人生のうち4分の3くらいに来ていると思いますので、これまでの自分が「気づき」「学び」「深め」てきたものを、どのように「活かす」ことができるかということに、力を尽くさなければならないのだろうと、考えています。

 そういう意味では、外の人「よしきく」が「気づき」「学び」「深め」を担当し、福島太郎が「活かす」、そして「生かす」ことが、知命ということになるのかも知れません。
 どこまで、その命題を果たせるかわかりませんが、引き続きよろしくお願いいたします。
 短命に終わらないように節制します。

 どうでも良いネタですが、サムネ画像を変更しました。着物姿の写真は近江神宮で撮影したものです。
(レンタル料500円のなんちゃって着物になります)



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福島太郎
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