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【駄文】ありがとう、ごめんなさい、赦してください、愛しています

#何を書くより最初に宣伝

 こちらの作品「雲の上(略)」の作者、「きよこさん」とは昨年からnoteで御縁をいただき、交流させていただいています。
 「夢見る木幡山」以降の私の作品については、多くの助言をいただいており、いつも助けられております。
 その「きよこさん」の今朝の記事が、こちらです。

 この記事に刺激をいただき、朝からツラツラと何か考えてみようとなりました。なお、「本日、8月20日はハニワの日かな」と、ふと思いついたので、サムネ画像は埴輪を使用したところです。

1 ありがとう
 毎日のように、感じていることは、「note街の皆さん」、「著作の読者」へのありがとうとなりますが、あらためて感謝を伝えるとすれば、家族や周囲、過去に生きた方々、交流していただいた方々、自然や環境など、思考が広がり続け、とり止めがなくなりました。
 が、突き詰めれば「生かされていることにありがとう」という感じでしょうか。何度かお越しいただいている方はご存知のネタとして、
『昔のインドの偉人によれば、人間の四つの苦しみとして生老病死というものがあるそうです』
というものがありますが、凡人の私としては「生老病」の全てに感謝、ありがとうというのが現状です。叶うことなら、「死」を前にしてもありがとうと感謝できるような人生を続けたいものです。

2 ごめんなさい、赦してください、愛しています
 残りは、纏めてになり恐縮ですが、この気持ちを添えるとしたら、「二人の娘」になります。
 一緒に暮らした時間が短かく、父親が居ない家庭にしてしまったことについて、贖罪の気持ちを持ち続けています。ただ、本音を言えば「赦して」という気持ちは薄いです。
『父のことは赦さなくて良い、それだけのことをしたから。
 だけど君たちのことは、いつも、いつまでも、ずっと愛している。
 そこを少し感じてくれたら、父としては嬉しい』
 ということになります。

 幸いなことに、二人とも20才を越えるところまで、人の道を大きく踏み外すことなく成長したように見えます。おかげで、私の「罪の意識」も少し和らいでいます、二人を育ててくれた方に感謝です。

 こうして考えると、自分の中には「赦してください」の気持ちが、ほとんど無いことに気づきました。何となくですが
「赦しは要らない。ただ、罪を受け入れ、背負いながら、償うことを目指して生きていく」
そんな人生観を目指しているようです。

 さて、勘の良い方はお気づきかと思います。そろそろ、#何を書いても最後は宣伝 のタイミングだろうということに。先ほどの人生観については、実は1年前にも「きよこさん」のアドバイスを受けて到達していました。その想いを込めたキャラクター、作品がこちらの「夢見る木幡山」になります。

 西洋から広がり、世界を席巻した宗教には「原罪」という考え方もあるようです。
 もしかしたら、人は罪や穢れからは逃れることができず、赦しを願い生きていくのかもしれません、だから苦を感じるのかもです。

 しかし、罪は罪として受け入れ、その上で光を目指す時に、幸せを感じることができるのかもです。
 生老病死を受け入れて、笑朗幸嬉を楽しんで生きていく。
 最後に、日本が生んだ偉人の言葉を噛み締めて、本稿を閉じます。

 これでいいのだ!

#何を書いても最後は宣伝

 これもいいのだ!


 
 

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福島太郎@kindle作家
サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。