「母成峠」とか「土津神社」とか

 こんばんは、今日もお疲れ様です。今日のサムネ画像と題名に共通するのは「戊辰戦争」であり、「土方歳三さん」とか「会津藩」ということになります。
 私の場合は20代前半で「花と剣」を読み、司馬遼太郎先生に嵌るとともに、「いつか五稜郭を訪れてみたい」などと思いつつ、約30年実現することなく過ごしてきました。そして、現在、漫画「ゴールデンカムイ」では、五稜郭を舞台にクライマックスを迎えているわけです。勘の良い方はお気づきのことと思います。現在、
「五稜郭を訪れてみたい病」
が、最高潮に達しています。現在の計画では、11月26日(金)~28日(日)の日程で函館を訪問する予定です。50を過ぎましたことから、JR東日本の「大人の休日倶楽部」に加入いたしまして、期間限定・数量限定、格安の「週末フリー乗り放題」を利用することで、比較的安価に訪問することが可能になりました。有難いことです。

 ということで、五稜郭を訪問する前捌きとして、本日は「母成峠」を訪問してまいりましたので、皆様と情報共有をしたく稿を上げます。戊辰戦争における「会津戦」で、土方歳三が戦闘をしたのが、この「母成峠」となります。まずは、石碑等の写真です。

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 説明文では「東軍800、西軍3000」という文字が書かれています。ここ大事です「官軍・維新軍・政府軍」とかではなく、「西軍」ですね。そして、「会津藩・会津軍・徳川軍」とかではなく、「東軍」です。
 続いては、こちらの写真をどうぞ。

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 かなり、わかりにくいのですが、奥の土が少し高く盛られています。土塁の跡のようです。150年を過ぎた今も存在していることになります。ちなみに、峠から会津方面を眺めるとこんな感じです。

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 紅葉の時期としては、過ぎてしまいました。すいません。

 石碑があり、大きな駐車場が整備されていますが、観光地化はされていません。交通の便が悪いこともありますが、何となく「敗戦の地」という負の遺産であること、また、大鳥圭介さんや土方歳三さんなど、外様の方が配置されたことを考えると、昔の会津藩の方々にすると、重要な地ではなかったのかもしれません。俗な言い方をすれば、外部の方を厄介払いするような戦場だったのかも、と考えてしまいます。

 当時の生活からすると、主要な街道ではなく、町民が使う生活道路のような位置づけでしたが、西軍に与した町民が道案内をしたことから、東軍が主力を投入した、なんて口伝もあります。確かに、石碑には西軍の大将格である「板垣退助さん」の名前も記されていました。

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 まぁ、この戦の是非や正義などについて語るほどの知識はありません。

 そして、司馬遼太郎先生と言えば「王城の守護者」に登場する「土津神社」も猪苗代町にありますので、足を伸ばしました。
 面倒な話は抜きにして、写真を上げます。ドン!

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 紅葉の名所ということで、参拝客・観光客で賑わっておりました。数年前に参拝した時の閑散とした風情とは大違いでした。

 以上、特に意味はありませんが、男の休日の一コマでした。なお、土津神社では参拝をせずに、写真だけを撮影して帰路につきました。
 本日、別な神社に参拝した話は、また稿をあらためて御報告します。

 特に脈絡はありませんが、最後にamazonへのリンクを埋めておきます。



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