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【創作】銀行員 鈴木 仁

 午後の始業を告げるチャイムを聞き、鈴木は瞼を開くとマウスを動かしてPCのスリープ画面を解除した。ログインパスワードを入力したところで、塚原部長に名前を呼ばれた。
(朝一番で回した稟議書を昼まで放置されて、ダメ出しかよ)
心の中で舌打ちをして、部長のデスク前に立つ。塚原の顔は険しい。
「お前、入行して何年目になる。よくこんな稟議をしれっと上げてきたな」
「8年目になります」
(どうせ、経営計画の見通しが甘いとか、金利が低すぎるとか、融資条件が甘いのが気にいらないんでしょうけど、俺も意見は言わせていただきますよ。この融資は何としても通過させたい。通過させなければならない)
「8年目か。じゃぁ、仕方ないか」
塚原はため息こそつかないものの、失望感を隠そうとせず、書類に目を落とした。
(経験不足で審査が甘いということですか、これでの同期の中では成約件数はトップですし、これまで事故をおこしたケースもありません。結構、場数を踏んで鍛えています)
「修正が必要なら、相手と協議してきます」
(前の中村部長なら、こんな手間をかけずに決裁してくれたのに、こんな時期に面倒な部長が送られてきたもんだ)
「不満そうだな。この支店の融資課長はずいぶんと偉いらしい。事前相談もなく、こんな稟議を回して、黙って決裁しろとはな」
「不満などございません、至らぬ自分を恥じています、申し訳ありません。この支店では、事前説明を行わないことがスタンダードでしたので、今回もそのようにしてしまいました、今後は相談させていただきます」
「必ずしも事前相談が必要とは言わないが、この融資は相談して欲しかったな。震災で営業成績がどん底なのに、新工場を建設する、しかも、ほぼ全額融資で、ほぼ最優遇金利。あり得ないとは思わんか。とは言え、入行8年では仕方ない、お前の能力を否定している訳じゃない」
「私が経験不足であることは認めます、申し訳ありません。確かに部長のおっしゃるとおり、現状の営業はどん底で、収益改善についての見通しは明確ではありませんが、東日本大震災で被災してもなお、経営を継続し、雇用を守ろうと努力する企業を支援することは、銀行が果たすべき責務ではないかと考えております。金利等の条件については、相手と協議しますが、融資については前向きに検討していただけないでしょうか」
「銀行が果たすべき責務ねぇ、ずいぶん高尚な意見をお持ちのようだが、お前、ちゃんと勉強しているのか」
「部長に勉強不足と言われたら、返す言葉もありません」
「まぁ、それを補うために俺がいるわけだ。で、この融資を審査する前に、相手に2点確認してもらえるか。1つは、新工場の建設スケジュール、少し遅らせることが可能かどうか。1つは、設備はこれで十分なのか、本当はもっと必要なのか。それを確認してから再検討だ」
「金利を上げることについては説明しなくて良いですか」
「誰が金利を上げろと言った。現時点ではこの金利でいい。後で下がる分には相手は文句を言わないだろう」
「現状でもかなりの優遇金利ですが、上げなくても良いのですか」
「あぁ、逆に下げるようになるだろう」
「どういうことでしょうか」
「まだハッキリとした内容じゃないが、昼のニュースで、政府が補正予算を組む方針との報道があった。数週間のうちに閣議決定され、震災復興に向けた設備投資補助金や低金利融資が予算化されるだろう。もし、相手がそこまで待てるようなら、新工場の着手はそこまで保留してもらえ。補助金も、優遇金利の活用も、制度が固まる前に着手してしまうと、対象外になる恐れがある」
(本当ですか)と口に出すことは抑えたが、顔には出ていると感じた。
「大規模災害が発生した後、補助金と低金利融資の施策はセットメニューみたいなもんさ。ここ10年は無かったので、8年目のお前が知らないのは仕方ない。お前の言うとおり『企業支援は果たすべき責務』だ。ということは、より有利な条件を活用できるなら、そうすべきとは思わないか。補助金の活用でうちのリスクも減るし、復興融資の実績にもなる」
「直ぐに企業さんに確認してきます」
「おう、黒田の女社長さんに、よろしくと伝えておいてくれ。そういや、社長の名前は和美じゃなかったか。この書類は違うぞ、お前の入力ミスか」
「和美さんは、前の社長さんで、今は娘の美希さんが継いでいます」
「そうか、それは俺の勉強不足だったな、すまん。俺は二代目の時に担当したことがある、三代目社長によろしく伝えてくれ。退職された田中常務が、強い思い入れを持っていた。俺たちの代で、火を消すわけにはいかない」
「承知しました」
鈴木は、塚原に一礼して自席へと戻り、社長のアポをとるため黒田製作所に電話をかけた。少し声が弾むのを抑えきれない。
 俺が何代目の黒田製作所担当になるのかわからないが、俺の代で、黒田の火は消さない、黒田の四代目、五代目社長まで、その灯火を繋いでいく。
 他人様の上前を撥ねる口先だけの商売と言われるけど、金を通じて企業を護る、それが金融屋の腕の見せどころというもんだ。

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