ギンギラギンに
宗田さんの記事で知りましたが、昨日8月2日は「金銀の日」だったそうです。
で、この記事のコメントで
としたものの「ペンギンステップ」からの「変銀」、「辺銀」で話を終えてしまいましたので、「銀」が好きな理由をあらためてネタにします。
トーナメントで戦う対戦型スポーツにおきましては、柔道を除き「金銀銅」のうち、銀が仲間外れになることをお気づきの方も多いと思います。
『銅は「金と同じ」と書くから、銀が仲間外れなんでしょう』
と考えた方、悪くは無いですが、私の視点とは異なります。
金と銅は勝利で終わり、銀は敗戦で終わるという違いがあるのです。
なのでメディア等では、金の見出しに対して「祝・栄・歓・喜」、「銀」は「惜・悔・残」なんて表現が使われるような印象を持っています。銅はまたひっくり返って「獲・奪・取」みたいな前向きな言葉が躍るような感じです。
※個人の印象です。エビデンスを有するものではありません。
それぞれの環境は異なると思いますが、「銀」はもっと賞賛されて良いような気がします。大会2位です、ファイナリストなのです。胸を張り栄誉を受けるべき存在と考えています。
勝ちは賞賛されるべき素晴らしいことですが、負けにも素晴らしい価値があると思いたいのです。
勝者が生まれるためには、敗者が必要不可欠なのですから、敗者もまた素晴らしい存在です。
そんなことを考えているうちに「敗者」という言葉のネガティブなイメージに反発して考えた言葉が「ウイナーメーカー」というものになります。
完全に私の造語ですので、netで「ウイナーメーカー」を検索しても「ウインナーメーカー」が出ることになりますが、こちらの記事で紹介しております。
また、この言葉をネタに募集いたしました、note街の方々の珠玉の投稿は、こちらのマガジンに纏めています。
そして、#何を書いても最後は宣伝
銀メダルどころか、様々な背景を持ちながら「勝てなかった者=ウイナーメーカー」をテーマにした著者渾身の群像劇が、こちらの「光長るる阿武隈川」になります。
勝利を目指して努力し、求めるものを得ることができなかったとしても、光に向かい、光とともに進もうとする姿は、負けたとしても素晴らしい価値がある、決して無駄なものではないし、その努力はいつか報われることを願う、人間賛歌の物語です。