【駄文】幸せは なるではなく、あるでもなく、するでもない
もちろん、歩いてもこないし、歩いてもいけない。
「幸せは感じるもの」
なのかもしれないと思うようになりました。少し前までは、
「幸せから一つ足りないと思うと辛くなる。誰かと比べたり、何かと比べたり、過去と比べたりして、足りないと思うと辛い。だから、あるものを大切に、足るを知ることが大事ではないでしょうか」
という説を好んでいました。「吾唯足知」の世界が必要かと。
駄菓子菓子(だが、しかし)、note街の駄菓子屋を目指し、駄文を書き続けて1年ちょい、皆様と様々な鍛錬をさせていただきました。そして、福島太郎として2歳の誕生日を前にして思うことは
「幸せは、なるものでもなく、あるものでもなく、するものでも、してもらうものでもない。感じればよい」
という心境です。ちなみに「鍛錬」については、過去記事で、ちょっと良い話をしていますので、御覧いただければと存じます。ちょうど一年前の記事になります。
そして、久しぶりに、あのお方の言葉を反芻したいと思います。
『ほんとうに大切なことは目に見えない、けれど見ようと思えば見える。そういう気持ちで見れば見えるのだと。本当に何かを見るということはそういうことなのだと。心の目で見るのだと。』
(黒田製作所物語 あとがきより引用)
これを「見る」を「感じる」にしても、そもまま通じるような気がしてるのです。「幸せの青い鳥」を探していたチルチルとミチルは、旅をすることで、幸せを感じる心を育み、青い鳥を見つけた=幸せを感じた、ということになるのかと。
愛 自由 希望 夢 足元をご覧よ きっと転がってるさ
(ミスチルの「名もなき詩」より)
というのも、そこにあることを感じる心が大切なのかも、と思うようになりました。
ふとした笑顔、青空、心地良い風、美味しい料理など、幸せは様々なところにあり、こうしてnoteに好きな投稿をできることも、とても幸せなことだと感じるようになりました。
最近好きな言葉が「今は人生のロスタイム」というものになります。ロスタイムが、もしかしたら30年くらいあるかもしれないですし、明日、どころか今日にもホイッスルが吹かれるかもしれません。
けど、今も幸せと感じられることに感謝です。残り時間はわかりませんが、これからも鍛錬を続け、できれば他の方の良い稽古台になりたいと、この光のバトンを渡していきたいと考えております。
引き続き、仲良くしてくださるようお願いします。
11月11日ということで、「ポッキー&プリッツの日」を期待されていた方には、申し訳ありません。
そういえば、本日は「公務員のタマゴに伝えたい話」を1冊御購入いただけました。そのおかげで、幸せを感じているのかもしれません。
今月に入り、第2集、黒田、恋旅は1冊も売れず、恋旅は1ページも読まれていない状況ですが、けれど強がりではなく、こうしてネタにできることも、また幸せだと思うのです。なお、途中で使用した【駄菓子菓子(だがしかし)】は、私の造語ではなく、ラベンダーさんのお言葉です。すっかり気に入り承諾なく使わせていただいています。
note街の駄菓子屋、かつての駄文屋に相応しい言葉です。なお、ラベさんによる「恋旅」の感想はこちらになります。
こうして、noteの御縁で遊んでいただけること、感謝です。なお、本の御購入は次のリンクからお願いします。黒田のあとがきは、紙版の「試し読み」で読むことができます。また、その他の本のレビューも面白いので、是非、お読みいただければ嬉しいです。