【駄文】「光流るる阿武隈川」が好きな理由
何冊かkindle出版をしておりますが、『一番のお気に入り(おススメ)は「光流るる阿武隈川」です』と公言しています。
書き手としては『最新作の会津ワイン黎明綺譚です』と言えないところに、少し忸怩たる思いがありますが、忖度も損得も抜きにして、この作品が大好きなのです。何度もネタにしている話ではありますが、時々語りたくなってしまうのです。
今回は、Amazonに最初にレビューしていただいた「沈丁花さん」の投稿を元に振り返りをいたします。なお、かなり「盛っていただいたレビュー」ですので、作品についての価値は保証しかねます。
お話の伏線づくりが巧みで、後のお楽しみのようにパズルのピースがピタッと埋まっていくことに感嘆させられます。
もう、この冒頭1行で、狂喜乱舞です。感謝です。
「ギミック満載」「仕掛けだらけ」を「伏線」とか「パズルのピース」と表現していただいているようです。そこが、私も気に入っております。「ジョジョの奇妙な冒険」(第2部 戦闘潮流)でジョセフ・ショースターの名セリフ
『おれヒジョーに好きなのよ、だましの「手品」がッ!』
にも通じるものがあります。さて、レビューに戻ります。
さらに、登場する食べ物が読み手の味覚となっていきます。例えば祖母の作る味噌お握り。孫が受け継いだ味を今度は我が子のために作る。そのような日常の営みが、清らかな川の流れのように「あたりまえに繋がって」未来へ続くのが温かい。
「あたりまえに繋がって」未来へ続く、ということが、とても有難く貴重なことと、日々感じています。その想いを汲み取っていただいたことに感謝です。
主人公里美の父が思いの丈を込めるシーンがあります。
娘のしあわせがいかに父にとってのしあわせであり、そのためにの苦労は喜びでしかないこと。
また、飼い犬が最期に伝えたかったであろう気持ち、それは時空を超えて里美が受け取っていたこと‥‥ これらは涙なくしては読めませんでした。
「一人で戦う主人公」に見える場面がありますが、「一人じゃない」という思いを込めていました。現実社会でも「孤独」や「疎外感」に打ちのめされることがあると考えています。しかし、本当に「一人でしょうか」、命は一人だけのものでは無いし、見ていたり、応援している方は必ずいると考ええています。皆、見守りあい、支えあいながら、生きていると信じています。
登場人物の人としての温かさを発しながら、物語はカヌーへの情熱を縦糸に、木幡の暮らしや伝統への想いを横糸に織りなされます。驕らず高ぶらず、今あることに先人たちへの感謝を忘れない.... 福島太郎氏が執筆をされる本質もここにあると思いました。
前半はカヌー競技を中心に、後半は恋愛、家庭、お仕事、地域の話と広がります。
どっちつかずの内容を「縦糸と横糸」と上手に表現していただきました。
この辺りの展開は「スポーツもの」が勝利してハッピーエンドになる物語に対する、私なりの疑問と申しますか、そこから先にも人生があるよね、「そこをどう生きる」みたいなことを考えていたのではないのですが、主人公のモデルの方の、現実の展開にストーリーが引っ張られました。(モデルの方が、アパレル業を退職されて、地元でセレクトショップを営むのです)
“想いが天に通じて、天が応援する。ずっと木幡で暮らし、家庭を守り、仕事に勤しんだ家族がいる。継ぐひとがいて、応援する人がいて、糸を紡ぐように、絹を織るように、心を重ねて、その衣が天に舞う”
まさに、「ほんとうの空」高く.....
阿武隈川の水面の光のような、輝く一冊です。
もう、この表現が全てです。「絹」にも触れていただき、「天」も登場させていただき嬉しいです。
この言葉をいただいたことで、執筆の労力が報われます。
沈丁花さん、ありがとうございました。
さて、もう少し、お付き合いいただいてもよろしいでしょうか。
いくつかの物語を創作していますが、出来の良し悪しはともかく、
「自分にしか書けない物語」
ということに、少し拘りがあります。そういう意味で「恋旅」「黒田」「会津ワイン」「木幡山」などは、モデルのお話ををもっと上手に書ける方がいるとも考えてしまいます。
しかし「光流」については「戸田」、「人形町」、「木幡」の場面など、
「俺じゃなきゃ書けないね」
と自負しております。福島県に住むオッサンが「戸田漕艇場」や「人形町の親子丼の店」、「阿武隈漕艇場」や「木幡のセレクトショップ」なんか、そうそう行かない訳ですよ。川俣町の「女神の羽衣」や「横浜シルク」なんて話は、なかなかピンとこない気がします。「知る人ぞ知る」世界と考えています。
「ミラノ」は訪問したことがありませんが、その外の「光流」の舞台は、実際に私が現場を踏んだ地域を描いています。そういう意味で、技術や才能ではなく、経験をベースに考えた時
「俺じゃなきゃ書けないね」
という自負、自分の人生を投影した物語となっております。
ということで、長くなりましたが、
「太郎さんの宣伝がしつこいし、少し読んでやってもいいよ。けど、何を読めばいい」
と、疑問を抱く方へのアンサーが「光流るる阿武隈川」でした。
なお、「光流るる阿武隈川」というのは、高村光太郎先生の「樹下の二人」という詩にある『あの光るのが阿武隈川』という言葉をモチーフにしています。高村智恵子さんの出身地が福島県二本松市であり、現在は木幡も二本松市に含まれています。この詩もギミックに使っています。
なぜ「流れる」ではなく「流るる」なのか、「るる」に込めた想い、そして、「樹下の二人」で始まり、最終章「川辺の二人」との関係、「光」への想い、私の想いをギミックに重ねること、かなり多めで書いています。
この作品はギミックで複雑にし過ぎましたので、次の「会津ワイン黎明綺譚」は、まっすぐ直球な物語です。魅力的なキャラクターが活躍していますので、こちらもおススメです。