【駄文】目指せ ギミックマスター
ギミックというのは「からくり」とか「仕掛け」、「演出」などの意味とされているようですが、「伏線」とか「後付け」というのも含まれるかもしれないですね。実は私、このギミックというものが大好きなのです。そもそも「福島太郎」という存在そのものも、ギミックみたいなものですが。
さて、実は「夢見る木幡山」でも、いくつかギミックを仕掛けております。例えば
・本編に登場する「三部さん」があとがきを書いています。
→これは、ほとんどの方がお気づきかと思います。
・三部さんをモチーフとした方が「公タマ伝」にも登場しています。
→公タマ伝に収録している「フロンティアミッション」のTさんです。
(三部さんは、黒田製作所物語のあとがきにも登場いただいています)
・過去の著作の表現を、意図して使用している場面が複数あります。
・小介は前半と後半で、対比するように状況を変えて、その心境を示しています。
(竈→囲炉裏、火の勢い、お湯→小豆、1人→3人など)
・主人公役の「禰宜」の台詞がたくさんあるように見えて、最初以外は全て「僕」という主人公の妄想です。禰宜は1回しか発言していません。
そして、勘の良い方は、noteや私の過去作をお読みいただいている方は「なんで?」お気づきかと思いますが、その意図が分からないだろうと仕掛けた大きなギミックがあります。
「夢見る木幡山」では「リアル」に拘っているというのが、一つのヒントになります。語り手の1人称が「僕」となっており、普段の福島太郎が使う「私」では無いのです。
このことが、意図しているギミックとは。
夢見る木幡山は「よしきく」と「福島太郎」の合作という設定です。僕というのは福島太郎ではなく「よしきく」のことなのです。そのために、1人称を変えていました。
なお、「よしきく」を御存じない方に説明しますと、「よしきく」というのがリアルな世界で生きている福島太郎の本体というべき存在です。生きるために、打算とか妥協とか現実的な対応にしがみついて、穢れたり壊れたりしています。そして、その心の中の比較的「ピュアな部分」が具現化したのが架空の存在である「福島太郎」という設定なのです。そのため「心の中の人=福島太郎」に対して、「心の外の人=よしきく」と表現することがあります。
実は先日、敬愛するクリエイターのお一人、コノエミズさんが、過去の投稿をかなりの数読んでくださいました。noteの初期の投稿や公タマ伝における一人称は「筆者」でした。活動当初は、「福島太郎」と「よしきく」の領域が曖昧で、うまく使い分けができなかったため「書いている人=筆者」ということで、俯瞰的に原稿を作成するように意識していました。最近はある程度、使い分けができているというか、ほぼ完全に「福島太郎が書いている」ということで落ち着いています。
で、基本的に出番が無いよしきくが「俺にも書かせろ」と出しゃばってきた作品が、「夢見る木幡山」の「僕パート」という設定なのです。
しかし、よしきくのパートで物語的な展開が少なく、味付けが足りないと感じた私が「小介パート」を追加して、ラストの「夢見る木幡山」を足して、一つの作品を書きあげた。という設定上のギミックなのです。
ほとんど需要が無いと思われますが、こんな設定を考えては楽しんでいます。
なお、今回の「夢見る木幡山」を書き上げて、一番嬉しい言葉が、禰宜の方から後日伝えられた。
「母が、とても喜んでいました」
という言葉でした。この一言で「全て報われた」ような幸せな気持ちになりました。
その他の本はこちらからです。