【駄文】やらぬ後悔よりも挑戦を、成功しなくても成長の糧に
今更ながら、自分の欲深さに驚いています。「足るを知る」ことが幸せだと言い、穏やかに暮らしていきたいと考えているはずなのですが、51を過ぎてまだ、成長したいと考えているようです。
マズローの法則で言うところの「成長欲求」を追う気持ちが止められません。
noteの閲覧数とかスキ、フォロワー数、書籍の売上げとかについて、「数字が多い方が嬉しいけど、数字が目的じゃない」というスタンスです。もともとは、「公タマ伝」を発刊することを目的に、note界に参加しましたので、ある意味では目的を達成しています。積極的に他のクリエイターさんと交流を楽しんでいるわけでもないので、もう、noteに新規の記事を投稿する必要性も薄いという状況です。
なのに、何故、何を求めてnoteにぶら下がり続けるのか。
一つの解が、「挑戦と成長」なのかと考えています。文章を書いたからと言って、文章が上手くなるとは限らないですが、書かないよりは書いた方が上手くなるような気がしています。少なくとも、書くことに対する抵抗感が少なくなっていることを感じています。
公タマ伝よりも黎明奇譚、黎明奇譚よりも恋する旅人の方が、書いていて楽しさが増しています。
運動をしていなかった人間が、練習するごとに能力が上がる姿に似ているのかもです。残念ながら、記録が計測できるスポーツとは違い、文章力については、明確な値で比較できないのですが、「まだ、まだ成長できるのでは」と考えてしまう自分がいます。
欲深い人間なので、まだ、自分の文章に満足することができません。「お前が成長したからと言って、何の役に立つ。どんな意味がある」と、問いかけてくる自分もいます。それでも歩みを続けたい。今は意味がないかも知れないけれど、続けることで、成長することで、誰かの役に立てるかも知れない、そんなことを考えています。
先日、スウィングマンさんの中の人(ゲスト)、アンドロメダさんから、公務員の副業について質問をいただきました。
公務員の副業は、より緩やかな方向に緩和されていくと感じています。その先駆けを気取るつもりは無いのですが、自分の行動が「挑戦したい」という意欲のある方々への参考になれば、と考えることもあります。
ここまで御読みいただき、ありがとうございます。実は、先日、知人から「公務員志望者向けに、少し話をしてみない」とのお声がけをいただきました。大変有難いことです、貴重な機会をいただけることに感謝した次第です。「公タマ伝」を評価していただいたわけではなく、たまたま、話をしてくれそうな、公務員を探していたのだろうとは思います。
しかし、目標にしていた「公務員のタマゴに伝えたい」が実現するかも知れません。そこで、あらためてどんな話をしようかと考えていたところ、表題の言葉に至りました。基本的には「公タマ伝」をベースにお話させていただくつもりですが、最後にあらためて「伝えたいこと」として、浮かんだのが「挑戦して欲しい、成長して欲しい」という思いでした。
私が経験してきた公務員生活と、これからの時代の公務員生活は、異なることが多いと思います、そのような中でも変わらないことは「挑戦することで成長できる」ということになるのかな、と信じていたいです。
できれば、そのことを実践したいと考えつつ、今日も駄文を書き散らしています。最後まで御読みいただきありがとうございました。これからも仲良くしてください。