ネタ供養 或いは アフターサービス
12月にkindle出版した拙著「スプラウト」におきまして、沖縄編からの終盤は著者が非常にお気に入りの場面が続きます。こちらの本です。
何故、お気に入りかと申しますと
1 初期の構想には無く「書かされた展開」であること
2 5月にプライベートで実施した「沖縄旅行を活かせた」こと
ということが大きいです。
創作をしていると時々「思いもよらない展開」になることがあります。スポーツで言えば「ゾーン」のような状態かもしれません。この沖縄編は主人公たちのモデルの方たちの取材記事を読んで
「沖縄旅行をしているときに放牧豚の牧場を見て、自分たちでも挑戦したくなった」
という一文を、自分なりに膨らませた内容となっております。
しかし、実は「膨らませ過ぎて」、没にした展開がありました。今回は恥ずかし気もなく、その原稿部分を公開しようと考えています。
ここから「没原稿」です。
沖縄での旅程について家族で話し合いをする時、朗が
「幸子の行きたいところに行こう。カーナビと地図があれば、多分どこでも行けるだろう」
と宣言し、基本的にはお任せにしたが、幸子と二人の時にこっそりと相談した。
「初日だけ、最初だけ、俺の行きたいところに行かせてくれるか」
もちろん幸子に嫌はなく、那覇空港でレンタカーを借りた朗は、南風原市にある「松風苑」の住所をカーナビに入力した。
松風苑は、那覇の奥座敷と言われる料亭である。
本土料理のような松花堂弁当を食した後、幸子を残して「金城哲夫資料館」に足を踏み入れた。
金城氏が読んだであろう、蔵書が並び、手掛けた番組や舞台の脚本が、ショーケースに並べられていた。
彼は本土と沖縄の架け橋になろうと、沖縄の文化を護りながら魅力を発信しようと、平和の尊さを繋げようと戦っていたのではないだろうか。しかし、沖縄から東京、東京から沖縄のどちらでも、どちらにも属しきれないギャップを抱えながら未来に進もうとしていた。
展示品から金城氏の想いが伝わってくるようだった。
米や煙草の栽培を止め、一人カイワレ大根栽培に乗り出し、この道を歩むと決意しながらも、「これでいいのか」という疑問がいつも胸に刺さっていたが、
「生きている限り未来のための道を進む。新しい種を蒔き続ける」
あらためて沸き上がってくる想いがあった。
ひめゆりの塔を見学してから喜屋武岬へと向かった。カーナビには喜屋武岬の住所が設定されていなかったが、運転が好きな朗の勘の良さもあり、周辺には畑しかない農道にも関わらず、スムーズに喜屋武岬に着いた。
(没原稿 ここまで)
はい、没にして正解でした。「金城哲夫氏」への私の想いが強すぎて、ほとんどの方には通じない内容でしたね。
ちなみに、最後に高村光太郎先生の詩「道程」も掲載しようとしていましたが、それも没にしました。
しかしですねぇ、米農家でありながら「孤高の道」を選んだ主人公と金城哲夫さんの姿が重なることもあり、没にしたことを「ちょっとだけ後悔」していますので、この場で公開してみました。お読みいただきありがとうございます。
初代ウルトラマンから感じる「光」とウルトラセブンから感じる「影」、「戦争と平和」、「米国と日本と沖縄」、「国と国民」などのエッセンスが、拙著「スプラウト」にも影響していると感じています。
そういう意味では、2月下旬まで期間限定、今の表紙が気に入っております。
もし、私がどこにでも住めるとしたら、沖縄に住んで、沖縄を舞台とした人間賛歌の物語の創作に挑戦したいものです。
さて、話は表紙に戻りまして、表紙の話と言えば、こちらの「会津ワイン黎明綺譚」ですね。
noteのご縁で「森田はぐみさん」に描いていただいた表紙になります。
寄り添うようで、背中合わせのようもに見える二人が実に善いです。
森田はぐみさん、いつも素敵なイラストをありがとうございます。
ということで、いつもどおり、何の話をしているのか迷走していますが、引き続き交流していただきますようお願いします。