【駄文】世界の入口

 子どもの頃、玩具なんか買って貰えなかった。玩具どころか、日々の糧にもこと欠くような生活だった。近所の子どもたちからも避けられていた。
「太郎君とは遊んじゃ駄目だって、ママに言われている」
 そういう子がたくさんいた。たくさんと言っても数人だけど、その数人が田舎の子ども社会の全てだった。
 誰もそばに居ない世界で、唯一、傍にあったのは月刊の児童図書と一冊の辞書。辞書は黒い表紙で、そこそこ分厚かった。父から渡された時には、既にそこそこくたびれていた。
 児童図書を読んで、わからない語句を父に聞いた時
「辞書で自分で調べろ」
と、数回繰り返した後は、本を読んだり、テレビを見たり、大人の話を聞いたりして、解らない言葉があると、辞書を開いた。

 その辞書は、世界への入口だった。知らないことが何でも出ていた。簡潔かつ明確に僕の疑問に答えを示してくれた。それどことか、同音意義語も教えてくれた。
 WWW(ワールドワイドウエブ)、今ならインターネットが世界を教えてくれるけれど、昭和50年前後は、黒い辞書だけが世界と僕を繋いでくれていた。どんな玩具にもない、刺激を与えてくれていた。

 そして、活字中毒、言葉遊びをこよなく愛する男が生まれた。

 オッさんになってから、オヤジギャグを愛するようになったわけじゃない。駄洒落を言うようになったわけじゃない。こちとら、小学校に入る前から、言葉遊びを楽しんでいるのです。文字と戯れているのです。
 社会的にも経済的にも成功したとは言えない父、人格的にも尊敬することができない部分が多い人ではありますが、子どもの頃に辞書を与えてくれたこと、突き放してくれたことに感謝している。
 自分で、「調べる、考える、行動する」
という自立的な部分は、子どもの頃からの英才放逐の賜物です。

 おかげで、言葉の後付けが上手になりました。
「公タマ伝」というのは、「公務員のタマゴに伝えたい話」という意味だけではなく「公務員のタマシイを伝えたい話」です。なんてことを、最初は全く考えていないのに、言い切りました。
 駄文屋然り、黎明奇譚然り、最初に直観的な「言葉」があり、後から意味を付けているのが実情です。

 ただ、それは40年を超える「言葉遊びの系譜」だとも思うのです。子どもの頃にひたすら辞書を捲り、学校図書館の本を漁るように読み、お金を得てからは漫画をむさぼり、時に日本文学全集を読破するような変態が、雌伏の期間を経て、今、起きだしたような気がします。

 WWWの時代を迎え、お金を出さなくても、世界の入口に入ることができるようになりました。辞書よりも深淵な世界を覗けるようになりました。活字だけではなく、静止画、動画、音楽など、色彩豊かな世界が溢れています。
 しかし、太郎は「言葉」、「活字」の世界に浸り続けたいと考えています。「言葉で世界は繋がっている」ことを楽しみ続けます。
 お気づきの方もいると思いますので、正直に申し上げます。断酒は終わりました。現在、2杯目の日本酒とノートパソコンが目の前にあります。
 素面か、酔っているかと聞かれたら、後者です。(2杯目と入力したいのに、2敗目と出るのは何故)。

 好きな酒を飲む、好きなように原稿を書く、何て幸せな日々なのでしょう。そして、お読みしてくださる方が居る。大事なことだから繰り返します「何て幸せな一日なのでしょう」
 酔ったオッサンの言葉に、大した意味は無いので終わりにしますが。
 子どもの頃、僕の傍には辞書しかありませんでした。
 今は、note界の皆様が居てくださること、心より感謝しています。
 皆様に出会えて、本当に良かったです。
 

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